# 第一章:暗流うごめく
陈浩はスマートフォンの画面に映る時刻を何度も確認した。午前1時47分。寮のベッドで横になりながら、彼はもう一時間以上も眠れずにいた。遠く離れた蘇州の大学に通う张彤の笑顔が頭の中に浮かんでは消える。
「今日はどんな一日だった?」
昼間に送ったメッセージには「充実してたよ」の一言だけ。それ以上の会話はなく、電話さえもここ三日間、一度もできていない。
陈浩は深く息を吸い込み、再びスマホを手に取った。薄暗い画面の明かりが彼の不安そうな顔を照らす。検索バーに打ち込んだ文字が、何度も削除される。
中国から遠く離れた場所で、张彤は新しい環境に馴染もうとしている。彼女は優しく、純粋で、誰にでも好かれる。それは彼女の魅力であり、同时に陈浩にとっての不安の種でもあった。
「彼女は変わってしまうかもしれない」
その考えが頭を離れない。陈浩は唇を噛みしめ、意を決して検索バーに「遠距離恋愛 不安 解消法」と入力した。
検索結果はさまざまだ。カウンセリング、信頼関係の構築、コミュニケーションの重要性……どれも当たり前のことばかり。彼は失望しながら、さらに深いネットの海へと潜っていった。
「催眠術 遠距離恋愛 コントロール」
その検索ワードを打ち込んだ瞬間、彼の心臓が大きく跳ねた。こんなことを考えている自分が恥ずかしく、同時に恐ろしかった。しかし、指は勝手に検索ボタンを押していた。
画面に表示された結果の一つが、彼の目を引いた。
「あなたの恋人をもっと愛しくさせる催眠術」
怪しいサイトだった。デザインは粗末で、漢字のところどころに誤字がある。しかし、その"専門家"の肩書きに陈浩は惹かれた。
「国際催眠療法士協会認定 黒人催眠術師」
陈浩はしばらくためらったが、結局「問い合わせる」というボタンを押した。ポップアップが現れ、チャット画面が立ち上がる。
「こんにちは。何かお困りですか?」
即座に返信が来た。中国語だが、少し堅苦しい表現だった。おそらく翻訳ツールを使っているのだろう。
陈浩は指を震わせながら、必死にタイピングした。
「彼女と遠距離恋愛中なんです。最近、連絡が減ってきて……どうすればいいかわからなくて」
数秒後、返事が来る。
「お気持ちはよくわかります。私は多くのカップルを助けてきました。催眠術で愛情を深め、あなただけを見るように導くことができますよ」
「でも……催眠術って危険じゃないんですか?」
「ご安心ください。リラックス効果を高めるだけのものです。彼女自身の意思で変わるのを助けるんです。強制は一切ありません」
陈浩は画面に映る文字を何度も読み返した。理屈では間違っているとわかっている。しかし、頭の中のもう一人の自分がささやく。
「試してみる価値はある」と。
「具体的にはどうすればいいんですか?」
「私が開発した瞑想アプリがあります。リラックスと自己啓発のためのものです。彼女にダウンロードさせてください。最初は何の変哲もないアプリに見えます。でも、私が遠隔で催眠誘導をかけられる仕組みになっています」
陈浩はごくりと唾を飲み込んだ。
「彼女にばれませんか?」
「もちろん。ただの瞑想アプリですからね。女性に人気なんですよ。彼女も喜ぶはずです」
チャットはさらに続いた。陈浩は次第に酔いしれるように、催眠術師の言葉に耳を傾けた。彼が言うには、このアプリを使えば张彤の不安が和らぎ、より幸せな気持ちになるという。远距離の悩みも自然と消えるのだと。
翌朝、陈浩はアプリのダウンロードリンクを受け取った。アプリ名は「静寂の湖」。清らかな水のアイコンが印象的だった。彼は一度、自分でダウンロードして試してみた。確かに、穏やかな音楽と自然の音が流れ、リラックスできる内容だった。
「これを张彤に送ろう」
彼はメッセージアプリを開き、张彤とのトーク履歴をスクロールした。最後の連絡から二日が経っている。優しい言葉を選びながら、アプリのリンクを添付した。
「彤彤、元気?最近ストレスが溜まってるみたいだから、良いアプリを見つけたんだ。瞑想のアプリで、凄くリラックスできるよ。試してみて」
送信ボタンを押した後、陈浩は胸の高鳴りを感じた。良心が痛む反面、期待もあった。
一方、蘇州の大学キャンパス。张彤は講義の合間にスマホを確認すると、陈浩からのメッセージが目に入った。彼の優しい言葉にほっとしながらも、どこか違和感を覚える。
「陈浩がこんなアプリを勧めるなんて、珍しいな」
彼女は考え込んだ。最近、陈浩の連絡が少なくなったことを気にしていた矢先だった。しかし、その心配をよそに、彼は自分のことを気遣ってくれている。そう思うと、アプリを試してみる気になった。
その夜、寮のベッドで横になりながら、张彤は「静寂の湖」を開いた。最初の画面には、穏やかな波紋が広がる湖の映像。美しいBGMが流れ始める。
「初めての方は、ガイド付き瞑想をお試しください」
女性の穏やかな声が流れる。张彤はイヤホンを装着し、目を閉じた。
「ゆっくりと呼吸を整えてください。吸って……吐いて……」
声に従いながら、张彤は次第に深いリラックス状態に入っていった。体の緊張が解け、思考がぼんやりしてくる。
「あなたは今、安全な場所にいます。すべての心配を手放してください……」
张彤の意識が、ゆっくりと揺れ始めた。何かがおかしい。たかが瞑想アプリが、こんなにも深く自分を変えてしまうなんて。しかし、抵抗する力も湧いてこない。
「これでいいのかな……」
かすかな疑問が頭をよぎったが、すぐに声に飲み込まれた。
二十分後、张彤はゆっくりと目を開けた。何かが変わったような気がする。心が軽くなったようで、どこか落ち着かない。携帯の画面を眺めながら、彼女は考える。
「明日もやってみようかな」
陈浩から届いた「効果はどう?」というメッセージに、彼女は笑顔で「すごく良かったよ」と返した。
遠く離れた場所で、陈浩はその返事を見て安堵した。しかし、同時に背筋が冷たくなるのを感じた。やはり、この道は間違っている。そう頭のどこかで囁く声がする。
その夜、黒人催眠術师は満足げに笑みを浮かべながら、次のステップを計画していた。
「次の段階に進む準備はできている」と彼はつぶやいた。手元のスマホには、张彤のアプリ使用履歴がリアルタイムで表示されていた。リラックス状態の深さ、呼吸パターン、心拍数——すべてが彼の掌中にあった。
张彤は知らなかった。自分が気づかぬうちに、罠に足を踏み入れていたことを。そして陈浩もまた、自分が思っている以上に危険な相手と手を組んだことに気づいてはいなかった。
明日、またアプリを開くとき、彼女の中の何かが変わり始める。その第一歩は、もう始まっていた。