連邦標準暦314年、人類はかつてない繁栄を迎えていた。星々を股にかける宇宙船、遺伝子編集による難病の克服、意識をネットワークにアップロードする技術——すべてが実現した。しかし、それでもなお、貧困は消えなかった。
連邦政府は新たな経済政策を打ち出した。債務者救済法だ。この法律により、一般市民は自らの意思で一定期間の労働奉仕を申し出ることで、負債を帳消しにできるようになった。法の建前は美しい。しかし、その裏で育った巨大な闇市場があった。
蘇家と仇家。二大奴隷売買組織は、表向きは合法的な人材仲介業を営んでいた。彼らのカタログには、自ら売身した者たちのプロフィールが並ぶ。貧しい家の娘たちが富豪の妾となり、名門の子弟が競争の激しい企業でインターンとして働く——そう謳われていた。
だが、それは嘘だった。
彼らの真の収入源は、連邦法に反した非合法の「注文」にあった。権力者たちは欲しいままに美しい娘を指名する。組織は彼女たちを拉致し、家族に偽の借用書を突きつけ、自ら売りに出たように仕立て上げる。泣き叫ぶ娘の口に布を噛ませ、漆黒の箱に詰め込む。そして、奴隷島へと運ぶのだ。
蘇家の屋敷は帝都の西郊にあった。白亜の館は三世代にわたって蘇一族の繁栄を見守ってきた。スーチン——いや、蘇晴は、その三階の窓辺から夕日を眺めていた。十八歳になる令嬢は、肌は透けるように白く、瞳は濡れたように黒い。彼女はまだ、自分がこれから見る地獄を知らない。
銃声が響いたのは、その日没の瞬間だった。
「うっ——」
蘇晴は反射的に床に伏せた。ガラスが粉々に砕け、破片が彼女の頬をかすめる。耳をつんざく爆発音。階下から父の怒号と、見知らぬ男たちの罵声が聞こえる。
「仇家の犬どもめ!よくも——」
鈍い衝撃音。そして、沈黙。
「お嬢様!」
老陳だった。執事として三十年、蘇家に仕えてきた白髪の老人が、息を切らして部屋に飛び込む。彼の肩には血が滲んでいた。
「裏の抜け道を!急いで!」
蘇晴は老陳に手を引かれ、螺旋階段を駆け下りた。廊下の曲がり角で、彼女は見てしまった。父が、書斎の床に倒れている。その胸には、焼け焦げた穴が開いている。
「お父さま——!」
「行くんです!今すぐ!」
老陳は彼女を無理やり引っ張った。地下へ続く階段の奥、隠し扉の先に、細い通路がある。そこを通れば、敷地外の廃工場へ出られる。蘇晴は必死に走った。涙が視界を歪ませる。息が肺を焼く。
廃工場にたどり着いたとき、異変に気づいた。
ガレージに、見慣れない大型トラックが停まっている。蘇家所有の車両ではない。荷台には金属製の檻が積まれ、中には数人の若い女たちが押し込まれていた。彼女たちは皆、一様に無表情で、目は虚ろだった。
「あれは——」
「おそらく、今日の積荷です。仇家の手が回る前に、奴隷島へ運ぶ途中だったのでしょう」
老陳は唇を噛んだ。その時、工場の入口から怒声が聞こえた。
「まだ逃げた奴がいる!探せ!」
仇家の殺し屋たちだ。蘇晴は震えた。老陳は一瞬の躊躇もなく、彼女の腕を掴むとトラックへと走った。
「お嬢様、申し訳ございません。しかし、これしか——」
彼は素早く荷台の檻の鍵を開け、蘇晴を中に押し込んだ。彼女は女たちの間に倒れ込む。生臭い汗の匂いと、鉄の錆びた匂い。そして、恐怖の匂い。
「隠れていてください。必ず——」
老陳の声は、トラックのエンジン音に掻き消された。誰かが運転席に飛び乗る。クラッチの音。そして、がたがたと車体が揺れ始める。
「ちょっと待って!私は——」
蘇晴は叫んだが、トラックは加速した。背後で、男たちの怒号と銃声が聞こえる。だが、すぐにそれも遠ざかる。
彼女は檻の中で縮こまった。隣の女が、痙攣するように震えている。見ると、彼女の腕には無数の注射痕があった。薬で意識を朦朧とさせられているのだ。蘇晴も、気がつけば意識がぼんやりとし始めていた。空気が淀んでいる。何か——薬品の臭いがする。
ああ、これが——これが「商品に加工する」工程なのか。
蘇晴の視界は暗転した。
どれほどの時間が経ったのか。
蘇晴が目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。コンクリート打ちっ放しの壁。天井には裸電球が一つ。部屋には簡素なベッドと、スチール製の机だけがある。
「目が覚めたか」
女の声だ。振り返ると、軍服に身を包んだ女性が立っていた。短く刈り込んだ金髪。鋭い目つき。口元には冷たい笑みが浮かんでいる。
「ここは——」
「奴隷島だ。ようこそ。私は教官のアリー。ここでのルールは単純だ。命令に従うこと。反抗すれば、痛い目を見る。それだけだ」
蘇晴は必死に記憶を手繰り寄せた。父の死。屋敷の襲撃。老陳——あのトラック——。
「私は蘇家の——」
「蘇家?」アリーは嘲笑した。「そんな名家の令嬢が、自ら売りに出るわけがないな。だが、お前の名はリストに載っている。債務者本人——あるいは、家族が売ったか。どうでもいい。ここでは全員が平等だ。買い手の所有物だ」
「違う!私は誤って——」
アリーの手が、鞭のように速く動いた。平手打ちが蘇晴の頬を打つ。甲高い音が部屋に響く。
「口答えは禁止だ。ここでは過去の身分は意味を持たない。お前はただの奴隷だ。覚えろ」
蘇晴は倒れ込んだ。口の中に血の味が広がる。だが、それ以上に、心の中に冷たいものが広がっていくのを感じた。
逃げなければ。父と母の復讐を果たすまでは。生き延びなければ——。
彼女は顔を上げた。アリーの瞳をまっすぐに見返す。
「——わかりました」
その声は、震えていなかった。
アリーは一瞬、目を細めた。しかし、すぐに背を向ける。
「訓練は明日の朝からだ。しっかり休んでおけ。最初の三日間は地獄だ」
ドアが閉まる。鍵がかかる音。
蘇晴は一人、薄暗い部屋に残された。壁には、前の住人が刻んだのだろうか、無数の傷跡がある。爪で引っかいた痕。血で書いた文字。
「生還」
その文字が、かすかに浮かんでいた。
彼女はそっとその文字に触れた。指先が冷たいコンクリートに触れる。まだ、終わっていない。ここから這い上がってみせる。
連邦も、仇家も、奴隷島のシステムも——すべてを壊してやる。
その決意だけが、彼女の心の中で確かに燃えていた。