# 第2章: 獲物の選択
夜の帳が下りた繁華街、ネオンサインが濡れたアスファルトに虹色の影を落とす。千夜は高級レストランの向かいにある路地の影に身を潜め、冷たい目で目的の人物を観察していた。
ターゲットは趙覇天——この地区で名を知らぬ者のいないヤクザの富豪だ。太った体に高級スーツを纏わせても、その下品さは隠せない。禿げ上がった頭が街灯の光を反射し、豚のように小さな目が周囲の女性たちを品定めするように這い回る。
千夜の指先が、薄紅色の唇をそっとなぞる。ダークエルフの本性を隠す人間の姿は、今夜も完璧だ。高校生程度の若々しさを装い、清純そのものの顔立ちに、少し控えめな制服風のワンピース。誰もが振り返る可憐さと、触れたくなる儚さを併せ持つ。
「ふふっ...曉微と同じような純真な少女を装うなんて、皮肉なものね」
千夜は囁きながら、胸元に忍ばせた小さな水晶玉に触れた。それは闇の魔力を宿し、彼女の計画を確実に進めるための道具だ。曉微——あの純粋で善良な魔法少女を少しずつ壊し、完全に堕落させるためには、まず適切な毒を仕込まねばならない。
趙覇天が高級レストラン「ラ・フォンテーヌ」の重厚な扉を押して中に入るのを確認し、千夜はタイミングを計った。10秒後、彼女もまた同じ扉をくぐる。
店内は落ち着いたジャズが流れ、シックな内装に高級感が漂う。千夜は入口で少し立ち止まり、あたかも入るのに迷っているかのような素振りを見せた。そして、計算された無垢な表情で店内を見回す。
「あの...すみません、お手洗いをお借りできますか?」
ウエイターに声をかける声は、少し震えていた。初めて来た高級レストランに緊張している少女を完璧に演じて。
ウエイターが丁寧に案内しようとしたその時、千夜は「偶然」趙覇天のテーブルの前でよろめいた。彼女の持っていた小さなバッグが床に落ち、中身が散らばる。
「おっと、大丈夫かい、お嬢ちゃん?」
趙覇天の脂肪で厚ぼったい手が、千夜の腕を掴んだ。その手のひらは汗ばんでいて不快だが、千夜は顔に出さない。
「は、はい...すみません、ぼんやりしてて」
千夜はうつむき、頬を赤らめたふりをした。まつげの奥からこっそりと趙覇天の反応を観察する。
趙覇天の小さな目が、千夜の全身を舐めるように這う。彼女の若々しい肢体、すべすべした肌、無防備な仕草——そのすべてが、この醜悪な男の欲望を刺激している。
「こんな時間に一人でお嬢ちゃんが来るような店じゃないよ。おやつでも食べに来たのかい?」
「えっと...友達と待ち合わせで...でも、もう一時間も待ってて...」
千夜の声は次第に小さくなり、目が潤み始める。完璧な演技だ。趙覇天の顔に卑しい笑みが浮かぶ。
「それは大変だ。よかったら、おじさんが何かご馳走しようか?ここはウナギが絶品でね」
「で、でも、知らない人と...」
「そんな警戒しなくていいさ。おじさんはこの辺りじゃ有名な実業家だ。名刺も持ってるんだよ」
趙覇天は胸ポケットから金箔押しの名刺を取り出し、千夜に差し出した。その動作には金権力を誇示する下品さが満ちている。
千夜はためらいがちに名刺を受け取り、文字を読むふりをした。
「趙...覇天...様?」
「おお、そうそう。お嬢ちゃんの名前は?」
「嵐...嵐兮です」
千夜は人間としての偽名を名乗った。その声の震えは、緊張と不安を装っているが、実際は愉悦で震えていた。
趙覇天は千夜を隣の席に座らせ、早速酒を注ごうとする。千夜は「まだ未成年なので」とか弱く抵抗したが、結局はオレンジジュースを受け入れた。
会話は趙覇天の自慢話で埋め尽くされた。自分の成功、権力、知り合いの偉い人たち。千夜は相槌を打ちながら、時折「すごいです」と無邪気な驚きを見せる。
「おじさんね、この街で一番のクラブも経営してるんだ。地下にある、特別な会員だけの場所さ」
趙覇天の目がギラリと光った。その言葉の裏にある意味を、千夜はもちろん理解している。彼女が調べた通り、そこは性的な快楽を提供する地下クラブ——表向きは高級会員制クラブだが、実際は金と欲望でできた檻だ。
「そんな素敵な場所があるんですか?どんなところなんですか?」
千夜は無邪気な好奇心を見せ、身を乗り出した。彼女の胸元がわずかに開き、趙覇天の視線がそこに釘付けになる。
「行ってみたいかい?よかったら今夜、案内してやろう。本当のおとなの世界ってやつを見せてやる」
千夜は少し俯き、指を絡めて揉みしだく仕草をした。まるで重大な決断に迷っているかのように。
「でも...私、遅くなると親に怒られちゃいます」
「大丈夫さ、12時までには送ってやる。それに、おじさんを信じなさい。いい経験になるぞ」
趙覇天の声は甘く、しかしその目は獲物を狙う蛇のように冷たい。
千夜は「よし」と心の中でつぶやいた。計画通りだ。この貪欲な豚は、純真な少女の皮をかぶったダークエルフに完全に魅了されている。
「じゃあ...少しだけなら」
千夜は小さな声で答えた。その口元が、一瞬だけ歪んだ。しかし趙覇天はそれに気づかない。彼は千夜の手を取ると、急いで会計を済ませ始めた。
レストランを出ると、街の空気がひんやりと肌を撫でる。裏通りへと向かう途中、趙覇天の太った手が千夜の腰に回された。千夜は一瞬の嫌悪感を魔力で押し殺し、むしろ相手に寄り添うように体を寄せた。
「ここだよ」
古びたビルの前に、何の変哲もない鉄の扉がある。趙覇天は壁の一部を押すと、隠された認証パネルが現れた。指紋認証と暗証番号を入力し、重い扉が横に滑る。
中は薄暗く、紫と赤の照明が妖しい雰囲気を醸し出している。空気には甘ったるい香水と、かすかに汗の匂いが混じっていた。壁には革張りのソファが並び、奥には個室がいくつも見える。一部の個室からは、くぐもった声や笑い声が漏れていた。
「いらっしゃいませ、オーナー」
黒服の男性が現れ、趙覇天に深々と頭を下げる。そして千夜を見て、何かを理解したようにわずかに目を細めた。
「今日は特別なお客様だ。VIPルームを用意しろ」
「かしこまりました」
千夜はあたかも初めて来たかのように、きょろきょろと周囲を見回す。壁には半裸の女性の絵が飾られ、カウンターには高級酒がずらりと並ぶ。
「こんな所、初めてです...ちょっと怖いかも」
千夜は趙覇天の腕にしがみつき、震える声を出した。その瞳は潤んでいて、まるで迷子の小動物のようだ。
趙覇天はその反応に満足げに笑い、千夜の肩を抱きながら奥へと進む。
VIPルームはさらに豪華だった。天井からはクリスタルのシャンデリアが下がり、中央には大きな円形のベッド。壁一面の鏡が、部屋を無限に広がる空間のように見せている。
「さあ、座れよ。何か飲むかい?」
「じゃあ...さっきと同じオレンジジュースで」
千夜はソファの端にちょこんと座り、膝を揃えた。その仕草一つ一つが、趙覇天の嗜虐心を煽る。
趙覇天がドリンクを用意している間に、千夜はこっそりと魔法をかける。彼女の目が一瞬紅く光り、周囲の空気がわずかに歪んだ。部屋全体に微弱な媚惑の香りを漂わせ、相手の欲望をさらにかき立てる。
「はい、お嬢ちゃんのジュースだ」
趙覇天がグラスを差し出し、千夜の隣に座る。彼の太ももが千夜のスカートに触れそうな距離だ。
「ありがとうございます」
千夜がグラスを受け取り、一口含んだその時——
「そうだ、お嬢ちゃんに会わせたい人がいるんだ」
趙覇天がスマートフォンを取り出し、画面を千夜に向けた。そこには、一人の少女の写真が映っている。
曉微——だった。
「こいつ、最近この街に現れた魔法少女なんだ。正義の味方を気取って、おじさんの商売にちょっかい出してきてる。本当に頭に来るんだよ」
趙覇天の声には、苛立ちと憎悪が混じっている。
千夜の心臓が高鳴った。獲物が自ら罠に飛び込もうとしている。この好機を逃す手はない。
「まあ...こんなに可愛い子が、魔法少女なんですか?」
「そうなんだよ。困ったもんだ。でもな、お嬢ちゃんが力を貸してくれるなら、こいつを懲らしめる方法を考えられるんだがな」
趙覇天が千夜の顔を覗き込み、意味深な笑みを浮かべる。彼の手が、千夜の太ももにそっと置かれた。
千夜は内側で冷笑しつつ、表情だけは純粋な困惑を保った。
「私に何ができるでしょうか?」
「簡単なことさ。お嬢ちゃんには、この魔法少女の弱点を探ってもらいたいんだ。お嬢ちゃんみたいな可愛い子が近づけば、きっと油断するだろう?」
趙覇天の言葉は、千夜の計画そのものだった。まるで彼が操り人形のように、千夜の思惑通りに動いている。
「でも...魔法少女に何かするのは、怖いです...」
千夜はうつむき、声を震わせた。
「大丈夫、おじさんが守ってやる。それに、ちゃんと報酬も出すよ。お嬢ちゃんの欲しいもの、何でも買ってやる」
趙覇天の手が、千夜のあごを優しく持ち上げる。その目には欲望が渦巻いていた。
千夜は一瞬間をおき、そしてゆっくりと頷いた。
「わかりました...私、頑張ります」
その声は可憐で、しかし口元にはダークエルフの邪悪な微笑みが浮かんでいた。趙覇天はそれに気づかず、歓喜に顔をほころばせた。
「よし!決まりだな!」
趙覇天がグラスを掲げ、千夜のグラスと重ねる。乾杯の音が、部屋の闇に吸い込まれていった。
獲物は自ら罠に飛び込んだ。千夜の計画が、確実に動き始めている。曉微という純真な魔法少女が、今まさに闇へと堕ちる階段の第一歩を踏み出そうとしていた。
千夜は心の中で笑う。この人間たちの愚かさが、なんと愛おしいことか。彼女の指先には、すでに運命という名の糸が絡みついている。それを少しずつ、少しずつ引き絞っていく——。