堕落の影

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# 堕落の影 第1章 誘惑の始まり 秋の陽射しがキャンパスを柔らかく包むなか、劉美玉は図書館へ向かう並木道を歩いていた。黄色く染まり始めた銀杏の葉が風に舞い、彼女の黒髪に触れる。手にしたノートを胸に抱きしめ、彼女は穏やかな笑みを浮かべていた。恋人・陳河との待ち合わせの時間まではまだ余裕があり、少しだけ自分の時間を楽しめ
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誘惑の始まり

# 堕落の影 第1章 誘惑の始まり

秋の陽射しがキャンパスを柔らかく包むなか、劉美玉は図書館へ向かう並木道を歩いていた。黄色く染まり始めた銀杏の葉が風に舞い、彼女の黒髪に触れる。手にしたノートを胸に抱きしめ、彼女は穏やかな笑みを浮かべていた。恋人・陳河との待ち合わせの時間まではまだ余裕があり、少しだけ自分の時間を楽しめる幸せを感じていた。

「こんにちは、お嬢さん」

突然、背後から聞こえた低い声に、劉美玉は足を止めた。振り返ると、見知らぬ黒人男性が立っていた。彼は浅黒い肌を陽光に輝かせ、白い歯を見せて微笑んでいる。その瞳は鋭く、劉美玉の全身を舐めるように見つめていた。

「すみません、何か御用ですか?」

劉美玉は一歩後退り、警戒心をあらわにした。彼女の目がキョロリと周囲を伺う。キャンパスにはまだ大勢の学生が行き交っている。それだけが彼女の心を少しだけ落ち着かせた。

「いや、ただ美しい女性に声をかけたくなったんだ。私はマーク、国際交流学科に所属している。君の名前を聞いてもいいかい?」

マークと名乗った男性は、ポケットから黒い名刺を取り出し、劉美玉に差し出した。彼女はそれを受け取らず、首を振った。

「すみません、私は急いでいますので。失礼します」

劉美玉は無理やり笑顔を作り、足早にその場を去ろうとした。しかしマークは一歩も動かず、ただ微笑みを浮かべたまま彼女の背中に向かって言った。

「逃げる必要はないよ、劉美玉さん。君のことはよく知っているんだ。陳河の恋人だよね?」

彼の言葉に劉美玉の体が固まった。どうして自分の名前を?どうして陳河のことを知っている?振り返らずにいられなかった。彼女の目には恐怖が浮かんでいた。

「どうして……私の名前を?」

「君は南大で有名だからね。ただの善意だよ。もし何か困ったことがあれば、いつでも連絡してくれ」

マークはそう言うと、軽く手を振って人混みの中に消えた。劉美玉はその場に立ち尽くし、鼓動が速くなるのを感じた。彼の声にはなぜか引力のようなものがあり、心にざわつきを残した。

その夜、劉美玉は陳河のアパートで食事を共にしていた。テーブルには彼の手料理が並んでいる。陳河は優しく微笑みながら、彼女の顔色を心配そうに覗き込んだ。

「どうしたんだ、美玉?今日はなんだか落ち着かないみたいだね」

劉美玉は箸を置き、うつむいた。手がわずかに震えている。

「今日……キャンパスで変な人に声をかけられたんだ。マークっていう留学生らしいんだけど、私の名前も君のことも知ってるんだよ。なんだか気味が悪くて」

陳河の顔が一瞬で曇った。彼は手を伸ばし、劉美玉の冷えた手を包み込んだ。

「怖がらなくていいよ。きっとただの暇な奴だ。明日から僕が送り迎えするから、一人で行動しないでくれ」

「うん……」

劉美玉は頷いたが、胸の奥に引っかかる違和感は消えなかった。彼女は陳河の温かい手のひらに自分の指を絡め、安心感を求めた。

それから三日後、劉美玉が教室で講義を受けていると、テキストの間に一枚のメモが挟まれているのを見つけた。白い紙には、流麗な英文で一言だけ書かれていた。

*“You looked beautiful today. – M.”*

劉美玉の心臓がドキリと鳴った。授業中だというのに、彼女は辺りをキョロキョロと見回した。誰も怪しい者は見当たらない。窓の外を見ると、銀杏並木の向こうにマークの姿が一瞬浮かんだ。彼は手を振ると、電光石火の速さで人波に溶けていった。

翌日、彼女の机には真っ赤なバラの花束が置かれていた。添えられたカードには「あなたの美しさは花に勝る」と日本語で書かれている。周りの女子学生たちが好奇の目で劉美玉を見つめる。

「ねえ、美玉、もしかして新しい彼氏?あの留学生のマーク君だって聞いたよ。すごくセクシーだって評判なんだから」

友人の一人が含み笑いをしながら言った。劉美玉はその言葉を遮るように花束をゴミ箱に捨てた。

「やめてよ。私は陳河が好きだから」

視線を感じて振り返ると、廊下の向こう側にマークが立っていた。彼は微笑み、片手を上げて小さな挨拶をした。劉美玉は無視して教室を出ようとしたが、足がもつれて廊下の柱にぶつかりそうになる。そのとき、マークがすかさず彼女の腕を掴んだ。

「大丈夫?怪我はない?」

「離して!」

劉美玉は手を振り払った。彼の指が触れた部分が熱く焼けるように感じられた。

「そんなに拒否しなくてもいいじゃないか。ただ友達になりたいだけだよ。今週末にパーティーを開くんだ。もしよかったら来てほしい。もちろん、陳河君も歓迎するよ」

マークは胸のポケットから金色の招待状を取り出し、劉美玉の手に押し付けた。彼女はそれを受け取るしかなかった。彼の視線には抗えない力があった。

「断るわ」

「そう言わずに、一度くらい顔を出してみなよ。陳河君だって新しい友達が欲しいだろう?」

マークはそう言い残し、軽やかな足取りで去っていった。劉美玉は招待状を握りしめ、震える指でそれを破り捨てようとした。しかし、なぜかそれができなかった。彼女の目は招待状に印刷された住所に釘付けになっていた。そこは、キャンパスの外れにある古い洋館だった。

その夜、陳河は劉美玉の部屋を訪ねた。彼女はベッドの端に座り、招待状を見つめている。陳河はそれを見ると、苦々しい表情で口を開いた。

「またあのマークって奴からか?」

「うん……無視しようと思ったけど、彼はしつこいわ。君も一緒に行ってくれない?断る理由を伝えるついでに」

陳河はため息をついた。彼の目には不安と怒りが混ざっていた。

「わかった。でも、絶対に油断するなよ。あの男には何か危険な匂いがする」

しかし、その言葉とは裏腹に、陳河の心の中にはすでに深い不安が渦巻いていた。自分だけでは劉美玉を守りきれないかもしれない。そんな無力感が彼の胸を締め付けた。

週末、マークのパーティーは派手に開かれた。会場の洋館は薄暗い照明に照らされ、低音の音楽が響き渡る。招待された学生たちは豪華なドレスやスーツに身を包み、笑い声とグラスの触れ合う音が絶えなかった。劉美玉は陳河の腕にしがみつくようにして会場に入った。彼女の目はキラキラと輝く装飾に驚きながらも、心の奥では警鐘が鳴り響いていた。

マークはすぐに二人を見つけ、ワイングラスを手に歩み寄ってきた。

「来てくれてありがとう。美玉さん、そのドレスは本当によく似合っている」

劉美玉は陳河の腕をぎゅっと握った。彼女は何も答えず、ただ俯いた。陳河が代わりに口を開こうとした瞬間、マークは先に言葉を続けた。

「君の恋人との永遠の愛を称えて、特別なプレゼントを用意したんだ」

そう言って、彼は手を叩いた。すると、使用人が大きな箱を運んでくる。箱の中には、純白のシルクのドレスと、真珠のネックレスが収められていた。劉美玉は息を呑んだ。あまりにも高価な品物だった。

「そんなもの、受け取れません!」

劉美玉は声を張り上げた。周りの客たちが一瞬静まり、彼女に視線を向ける。

「どうか遠慮しないで。これは友情の証だ」

マークはそっと微笑み、彼女の手に箱のリボンを押し込んだ。その瞬間、劉美玉の指が彼の手に触れ、電流のようなものが走った。彼女はすぐに手を引っ込め、箱を床に落とした。

「さあ、楽しんでくれ。パーティーはまだ始まったばかりだ」

マークは優雅に背を向け、人混みの中に消えた。劉美玉は震える手で床から箱を拾い上げ、陳河の方を見た。彼の表情は固く、拳を握りしめている。

「帰ろう、美玉」

「うん……」

陳河は彼女の手を引いて、洋館を後にした。外の冷たい風が劉美玉の頬を打った。空には星が一つも見えず、深い闇が広がっているだけだった。

「あの男、絶対に何か企んでる……」

陳河が呟いた。しかし、劉美玉は何も答えられなかった。彼女の心の中では、マークの言葉が反響していた。『永遠の愛を称えて』。その言葉が、陳河と築いてきた日々を嘲笑っているように思えたのだ。

その夜、劉美玉は自分の部屋で独り、プレゼントの箱を開けた。白いドレスは月光に照らされて淡く光り、真珠は滑らかな輝きを放っている。彼女はそっとドレスに触れた。その感触は、まるで彼女の心を優しく撫でる蛇の肌のように、甘美で危険な吸引力を持っていた。

「私は……変わっちゃいけない」

呟いた声は、誰にも届かなかった。窓の外では、黒い影が彼女の部屋を見つめている。マークは携帯電話を取り出し、一人微笑んだ。

「もうすぐだ……堕ちていくのが待ち遠しい」

彼の声は夜風に消え、キャンパスにはまた静寂が戻った。しかし、劉美玉の心には、すでに小さな亀裂が走っていた。その亀裂は、やがて深い闇へと彼女を誘うだろう。

揺らぐ防衛線

# 第二章 揺らぐ防衛線

午後の日差しがキャンパスの並木道に差し込む中、劉美玉は図書館の階段を下りていた。昨夜の出来事が頭から離れない。陳河の切ない眼差しと、マークの甘い囁きが交錯する。

「美玉さん!」

聞き覚えのある声に振り返ると、マークが白い歯を見せて笑っていた。黒いスーツに身を包んだ彼は、キャンパスの中で明らかに異彩を放っている。

「今夜、僕の友達が集まるパーティーがあるんだ。君も来ないか?」

劉美玉は一瞬ためらった。陳河の顔が浮かんだが、同時に胸の奥で何かが疼いた。

「でも、私...」

「ただの楽しい集まりだよ。君のような美しい女性がいてくれたら、雰囲気も盛り上がる」

マークの言葉には抗いがたい魅力があった。劉美玉は唇を噛みしめ、うつむいた。

「...わかりました。でも、あまり遅くならないようにします」

マークは満足げにうなずき、住所を書いたメモを彼女の手に押し込んだ。

---

夜の帳が下りた高級マンションの一室。ドアを開けると、煙草の香りと音楽が溢れ出していた。中には十数人の男女がいて、皆が輝くような笑顔で劉美玉を迎えた。

「マークが言ってた通りだ!本当に美しい女性だ」

「どこでこんな素敵な人を見つけたんだ?」

「そのドレス、すごくお似合いだよ」

次々と浴びせられる賞賛に、劉美玉の頬が赤らむ。彼女は照れくさそうに微笑みながらも、心のどこかでこの瞬間を待っていた自分に気づく。

マークは彼女の肩に手を置き、グラスを差し出した。

「さあ、乾杯しよう。今日は君のためにあるような夜だ」

劉美玉はグラスを受け取り、軽く口をつけた。甘い味が喉を通り過ぎる。周りの人々が彼女を中心に話しかけ、笑いかける。陳河と一緒にいる時には決して味わえない、特別な感覚だった。

しかし、頭の片隅では陳河の顔がちらつく。彼を裏切っているわけではない。ただ、久しぶりに自分のための時間を持っているだけだ。そう自分に言い聞かせながら、彼女は二杯目の酒を飲み干した。

---

一方、陳河は劉美玉のアパートの前で携帯電話を握りしめていた。時計は午後十一時を指している。何度も電話をかけたが、全て留守番電話に切り替わった。

「美玉、どこにいるんだ...」

焦燥感が彼の胸を締め付ける。彼はアパートの階段に座り込み、暗い空を見上げた。かつて彼女と過ごした日々が走馬灯のように蘇る。純粋で、優しく、いつも彼のそばにいたあの少女は、どこへ行ってしまったのか。

やがて、遠くからタクシーの音が聞こえた。陳河が立ち上がると、劉美玉がふらふらした足取りで車から降りてきた。頬は上気し、口元には微かな笑みが浮かんでいる。

「美玉!」

陳河の声に、劉美玉は驚いて顔を上げた。その目が一瞬、困惑と罪悪感に揺れる。

「どこに行ってたんだ?こんな遅くまで。何度も電話したのに!」

「ちょっと...友達と集まりがあっただけよ」

劉美玉は目をそらしながら答えた。酔いが少し覚めたのか、彼女の表情が曇り始める。

「友達?誰だ?まさか、あのマークって男か?」

陳河の声が震えた。劉美玉は唇を噛みしめ、答えない。

「なぜ黙ってるんだ?俺には言えないってことか?」

「もう、うるさいわね!あなたに干渉される筋合いはない!」

劉美玉の声が突然尖った。彼女は陳河を押しのけ、アパートの鍵を取り出そうとする。

「干渉?俺はただ心配してるんだ!」

陳河は彼女の腕を掴んだ。その瞬間、劉美玉は激しく振り払った。

「心配?あなたは私を監視してるだけじゃない!私はもう子供じゃないの!」

二人の間に冷たい沈黙が流れた。陳河の目に涙が光る。

「美玉...君が変わってしまったように見えるんだ。昔の君は、こんな風に俺と喧嘩したりしなかった」

劉美玉はその言葉に一瞬たじろいだ。心の奥底で、陳河の言う通りだという声が聞こえる。しかし、同時にマークの甘い言葉と、あの夜の輝かしい瞬間が頭をよぎる。

「...ごめん、今日は疲れてるの。もう帰るわ」

彼女はうつむきながら、アパートのドアを開けた。陳河はその背中を見送ることしかできなかった。夜風が彼の髪をなびかせ、冷たい孤独が彼を包み込む。

ドアが閉まる音が響く。劉美玉は玄関に寄りかかり、ゆっくりと床にしゃがみ込んだ。目から涙がこぼれ落ちるが、それは後悔なのか怒りなのか、彼女自身にもわからなかった。

最初の一本

# 第三章:最初の一本

マークはいつものように寮の裏手にある小さな広場に立っていた。夕暮れの橙(だいだい)色の光が彼の肌を照らし、影を長く伸ばしている。彼の指先から細い煙が立ち上り、風に揺れながら消えていった。

劉美玉は偶然そこを通りかかった。授業が終わり、陳河と会う約束があったが、まだ時間があった。彼女はマークを見て、少し躊躇した。彼の存在はいつも彼女に落ち着かなさを覚えさせる。しかし、なぜかその場を離れることができなかった。

「おい、美玉」マークはにこやかに手を振った。彼の白い歯が夕日にきらめく。「ちょっと来いよ」

美玉は一歩を踏み出した。それはほとんど無意識の行動だった。

「何してるの?」彼女の声は小さく、自分でもなぜ聞いたのかわからなかった。

「タバコを吸ってるのは見えないのか?」マークは煙を吐き出し、それを手で追い払った。「吸ったことあるか?」

「ない」美玉は首を振った。「そんなもの、体に悪いだけよ」

マークは笑った。「そうか。でも、たまにはいいもんだぜ。すべてを忘れさせてくれる。悩みも苦しみも、一瞬で煙のように消えるんだ」

美玉の心臓がドキッとした。悩みも苦しみも……最近、それらは彼女の日常だった。陳河とのすれ違い、小さな言い争い、自分でも説明できない苛立ち。

「一本ぐらいなら、何も変わらないさ」マークはタバコの箱を取り出し、一本を彼女の前に差し出した。「試してみるか?」

美玉は一歩後退した。「やめておくわ」

しかし、彼女の目はタバコに釘付けだった。細長い白い紙に包まれたそれが、何か禁断の果実のように見えた。

「わかった、わかった」マークは肩をすくめた。「無理強いはしないさ。でもな、美玉。お前はいつも真面目すぎるんだ。たまには自分を解放してもいいんだぞ」

彼はタバコを自分の口に挟み、深く吸い込んだ。煙が肺の奥に浸透していくのが見えるようだった。そして、ゆっくりと吐き出す。その煙は夕闇の中に溶けていった。

「陳河とのこと、うまくいってないんだろ?」

突然の言葉に美玉は体を震わせた。「そんなことない」

「嘘をつくな」マークの声は優しかったが、その目は鋭く光っていた。「お前の顔を見ればわかる。悩んでるんだろ?苦しんでるんだろ?だったら、一度くらい自分に甘くなってもいいんじゃないか?」

美玉は唇を噛んだ。彼の言うことは、心の奥底で感じていることと一致していた。陳河はいつも真面目で、融通が利かない。最近では彼女が少しでも自分と違う意見を言うと、すぐに説教を始める。ああしなさい、こうしなさい、それが正しいことだって。

「私は大丈夫」美玉は言ったが、その声は確信に欠けていた。

「そうか」マークは笑った。「でも、もし試してみたくなったら、いつでも言えよ。俺が教えてやる」

彼はタバコをもみ消し、ポケットに箱をしまった。そして、何事もなかったかのように去っていった。

美玉はその場に立ち尽くしていた。彼女の鼻にはまだ、ほのかなタバコの香りが残っていた。それはどこか懐かしい、幼い頃に嗅いだことのある匂いだった。父の指先から立ち上る煙の匂い。あの頃は嫌だったのに、今はなぜか心を落ち着かせる。

---

その夜、美玉は陳河と電話で言い争った。

「今日、マークに会ったんだって?」陳河の声は尖っていた。

「誰から聞いたの?」

「夢瑶が見てたんだ。お前が彼と話してるのを」

美玉はため息をついた。「ただ少し話しただけよ。彼がタバコを吸ってて、それについて少し話しただけで」

「タバコ?」陳河の声がさらに高くなった。「お前、まさか吸ったりしてないだろうな?」

「吸ってないわよ!」美玉は思わず声を荒げた。「私を何だと思ってるの?そんなことするわけないでしょ!」

「でもお前、最近変わってきてる。前はマークなんかと話したりしなかったのに」

「だから、それは偶然通りかかっただけで――」

「偶然?毎回偶然なのか?お前が彼と会うのはいつも偶然なのか?」

美玉は受話器を握りしめた。陳河の言葉が針のように心に刺さる。なぜ彼は私を信じてくれないの?なぜいつも疑うの?

「もういいわ」彼女は冷たく言った。「今日は疲れてる。もう切るわね」

「美玉、待って――」

彼女は電話を切った。部屋の中は静まり返り、時計の秒針の音だけが聞こえる。窓の外はもう真っ暗で、街灯の光がぼんやりとカーテンを透かしていた。

美玉はベッドに倒れ込んだ。胸の中に何か重いものが詰まっている。それを吐き出したいのに、どうすればいいのかわからない。涙が滲んできたが、彼女はそれをぬぐわなかった。

しばらくして、彼女は起き上がった。机の引き出しを開ける。そこには、先週マークが「お守りだ」と言って渡してくれたタバコの箱があった。彼女はその時、すぐに捨てるつもりだった。しかし、なぜか捨てられなかった。今、その箱がそこにある。

震える手で箱を取り出す。中には一本だけタバコが残っていた。まるで、この日のために残されていたかのように。

美玉はタバコを指に挟んだ。細い紙の感触。匂いを嗅ぐと、あの時の記憶が蘇る。マークの笑顔、彼の言葉。

「一本ぐらいなら、何も変わらないさ」

彼女はマッチを取り出した。手が震えている。これは間違っている。わかっている。でも、なぜか止められない。

マッチを擦る。一瞬の炎。そして、タバコの先端が赤く燃える。

美玉は深く息を吸い込んだ。

煙が喉を焼いた。むせた。涙が出た。しかし、二回目は少し慣れた。三回目には、煙を肺の奥まで届かせることができた。

不思議な感覚だった。頭がクラクラする。しかし、同時に、胸の中の重りが少し軽くなった気がした。すべての悩みが、煙と一緒に吐き出されていくような。

彼女は窓を開け、冷たい夜風を部屋に入れた。煙が外へと流れていく。下の通りは誰もいない。彼女の秘密を見ている人はいない。

タバコはあっという間に短くなった。美玉は吸い殻を灰皿に押し付けた。指先に残るぬくもり。口の中に残る苦味。

「これで終わり」彼女は自分に言い聞かせた。「今日だけ。もう二度と吸わない。ただ、今日だけ」

しかし、その言葉はどこか空疎に響いた。彼女はもう一度タバコの箱を見た。空っぽだ。でも、マークならまたくれるだろう。

いや、ダメだ。私はそんな人間じゃない。

美玉は箱を丸めてゴミ箱に捨てた。しかし、その後も彼女の心は落ち着かなかった。タバコの味がまだ口の中に残っている。あの解放感が体の中に染み込んでいる。

彼女はベッドに横たわり、天井を見上げた。今夜は何も考えたくない。ただ、このまま眠ってしまいたい。

しかし、脳裏に浮かぶのは、マークの笑顔と、あのタバコの箱だった。

「一本か二本ぐらいなら、大丈夫よね」

彼女はそう呟き、自分を納得させようとした。それが、自分自身に対する最初の嘘だった。

心理戦

# 堕落の影

## 第四章 心理戦

朝の光がカーテンの隙間から差し込む。劉美玉はベッドに座り込み、一晩中まともに眠れなかったことを実感していた。時計は午前六時を指している。彼女は深く息を吸い込み、今日こそ普通の一日を過ごそうと決意した。

教室に着くと、机の上に真新しいブランドのバッグが置かれている。見覚えのある包装――マークからのものだ。彼女の手は震えながら、留めているリボンを解いた。中から小さなカードが落ちる。

『美しい花には、美しい花瓶が必要だ。今日もあなたの笑顔が見たい。——M』

劉美玉は慌ててバッグを机の中に押し込んだ。周りのクラスメートは何かに気づいた様子もない。

「美玉、おはよう!」

陳夢瑶が元気よく駆け寄ってきた。彼女の無邪気な笑顔を見ると、劉美玉の胸が締め付けられる。

「あ、姉さん、そのバッグ、新しいの?すごく綺麗!」

「ち、違うの…借り物で…」

劉美玉は慌てて話題を変えた。「今日の授業の予習、ちゃんとした?」

「もちろん!でも姉さん、最近すごく疲れて見えるよ。大丈夫?」

「大丈夫よ、ちょっと寝不足なだけ。」

その言葉は自分自身に言い聞かせているようだった。

講義中、劉美玉は必死にノートを取り続けた。文字を書くことで、頭の中に渦巻く考えを追い出そうとした。しかし、ペンを動かすたびに、マークの低い声が耳の奥でこだまする。

『君は特別だよ、美玉。普通の女の子とは違う。』

彼女は顔を振り、集中しようとした。教授の声は遠くから聞こえてくるようだった。

昼休み、陳河が弁当を持って彼女を訪ねてきた。

「美玉、一緒に食べよう。最近、全然一緒にいられなかったから…」

陳河の目には心配そうな色が浮かんでいる。劉美玉は無理に笑顔を作った。

「ごめんね、今日は図書館で勉強しようと思ってて。試験が近いから…」

「でも、ちゃんと食べないと体に悪いよ。」

「大丈夫、パンを持って行くから。」

劉美玉は荷物をまとめ、逃げるように教室を出た。陳河の視線が背中に突き刺さる。彼は何かを感じ取っている。それが彼女をさらに苦しめた。

図書館の静かな空間で、劉美玉は参考書を開いた。しかし文字は全く頭に入ってこない。彼女の思考は常に二つの場所を彷徨っていた。

一時間後、彼女は耐え切れず、図書館を飛び出した。キャンパスのジムに向かい、トレッドミルで必死に走った。汗が全身を濡らし、心臓が激しく鼓動する。この身体的疲労だけが、頭の中の騒音を一時的に消し去ってくれた。

「美玉さん?」

トレッドミルが止まった時、背後から声がした。振り返ると、鞠婧禕が不思議そうな顔で立っていた。

「最近、よくここで見かけるね。運動に熱心なんだね。」

「うん…ちょっとストレス発散に。」

鞠婧禕は近づき、彼女の顔を覗き込んだ。

「顔色、あまり良くないよ。何か悩み事?」

「何でもないよ。」

劉美玉はタオルで汗を拭きながら、逃げるように更衣室へ向かった。鏡に映る自分の顔は、見知らぬ人のようだった。目の下のクマは濃く、瞳は曇っている。

携帯電話が振動する。マークからのメッセージだった。

『今日の運動はどう?体を大事にね。明日、新しいコーヒーを買ってあげる。あなたを目覚めさせてくれるものだ。』

劉美玉は携帯をバッグに投げ込んだ。だが、数分後には、それでもう一度メッセージを確認している自分に気づいた。

その夜、彼女は眠れなかった。ベッドに横たわりながら、天井を見つめる。時計の針はゆっくりと進む。午前二時、午前三時――。

やっと眠りに落ちたかと思うと、悪夢が彼女を襲った。荒れ狂う海に飲み込まれる自分、見知らぬ男たちの笑い声、陳河の悲しげな顔、そしてマークの勝ち誇った笑顔。これらのイメージが複雑に絡み合い、彼女の意識を破壊した。

「やめて!」

彼女は叫んで目を覚ました。全身は冷や汗でびっしょり。枕は涙で濡れていた。

窓の外では東の空が白み始めていた。一日がまた始まる。劉美玉は知っていた。今日もまた、マークの網に絡め取られる一日になることを。

増える量

# 第五章 増える量

マークの部屋はいつも薄暗かった。重厚なカーテンが昼の光を遮り、代わりに暖色の間接照明がぼんやりと空間を照らしている。劉美玉は柔らかなソファに沈み込み、指先で硝子のグラスを弄っていた。中の琥珀色の液体が揺れるたびに、アルコールの甘ったるい香りが立ち上る。

「今日は特別なものを用意したんだ」

マークの声は低く、まるで子守唄のように耳に心地よい。彼は銀のトレイに乗せた小さな瓶をテーブルに置いた。中には見慣れない透明な液体が入っている。

「何、これ」

劉美玉の声は掠れていた。最近、声が枯れやすくなったのはタバコのせいだ。最初は一本でむせるばかりだったのに、今では一日に何本も吸わなければ落ち着かなくなっている。

「君をもっと自由にするものさ」

マークはグラスにその液体を数滴垂らし、ゆっくりとかき混ぜた。氷がチャリンと澄んだ音を立てる。

「もういいよ…今日は帰る」

立ち上がろうとした美玉の肩を、マークの大きな手が優しく押さえた。その力は一見優しげだが、逃げ場を許さない強さがあった。

「怖がることはない。これはただのリラックス剤だ。君は最近疲れているように見える。陳河のことは気にしなくていい」

陳河の名前を出され、美玉の胸が締め付けられた。彼は最近、いつも悲しそうな目で美玉を見る。それでも、マークの部屋に足を運ぶことを止められない自分がいる。

「一度だけ…」

美玉は震える手でグラスを受け取り、一気に喉に流し込んだ。熱い何かが食道を通り、胃の中で爆発する。数秒後、世界の輪郭がぼやけ始めた。

「そうだ。それでいい」

マークの声が遠くから聞こえる。美玉の頭の中は黄金色の霧に包まれ、思考が途切れ途切れになる。何も考えたくない。この感覚に身を任せていたい。そう思いながら、彼女はマークの差し出す別のグラスを受け取った。

気がつくと、美玉は見知らぬバーのカウンターに座っていた。周りは煙草の煙で白く霞み、けたたましい音楽が鼓膜を震わせる。マークは隣でニヤニヤと笑いながら、美玉の手首を握っている。

「もっと飲め。今日は全部忘れるんだ」

ショットグラスが次々と目の前に並べられる。美玉は機械的にそれを煽った。舌は麻痺し、もう味覚すら感じない。

「もっと、もっとよこせ」

自分でも驚くほど強い口調で、美玉は叫んだ。周りの客たちが一斉に注目する。マークは満足そうに首を縦に振り、バーテンダーに新たな酒を注文した。

──どれくらい時間が経っただろう。

トイレの個室で、美玉は便器にしゃがみ込み、嘔吐していた。胃の中のアルコールが逆流し、涙と鼻水で顔中が濡れている。それでも頭は依然としてぼんやりとして、現実感がなかった。

「劉美玉、何やってるの…」

鏡に映った自分の顔を見て、美玉は愕然とした。目の下には深い隈ができ、頬はこけ、肌は青白くなっている。この一か月で、自分の顔がここまで変わってしまったのだ。

ポケットからタバコの箱を取り出す。もう半分も残っていない。確か今朝開けたばかりなのに。最初は一本か二本で満足していたのに、今では一日に半箱以上吸っている。

火をつける。煙を深く吸い込むと、肺の奥が焼けつくように痛む。それでも美玉は止められなかった。むしろ、その痛みが自分の存在を証明してくれるようで、どこか安心するのだ。

バッグの中でスマホが震える。陳河からの着信だ。美玉は画面を睨みつけながら、通話ボタンを押せずにいた。代わりに、彼に送ったメッセージの履歴をスクロールする。

『今夜は夢瑶と勉強するから、遅くなるね』

見事な嘘だった。美玉自身、自分の変わりように驚いている。かつては陳河に何一つ隠し事をしなかったのに。

「戻ろう、マークが待ってる」

そう自分に言い聞かせて、美玉はトイレを出た。

---

翌朝、アパートの自室で目を覚ますと、激しい頭痛と吐き気に襲われた。昨夜の記憶は断片的だ。マークとバーに行ったこと、何人かの男に誘われたこと、酒を浴びるように飲んだこと──そして、気がつけば自分のアパートのベッドにいる。

枕元に置かれた灰皿には、吸い殻が山のように積まれている。自分で吸ったのか、誰かが吸ったのかも思い出せない。

「美玉、いるか?」

ドアの向こうから陳河の声がした。美玉は慌てて灰皿を床に隠し、タバコの臭いが染みついたカーテンを開けて窓を少しだけ開けた。冷たい風が部屋に流れ込む。

「ちょっと待ってて」

声がひどく掠れている。水を一口含んで、なんとかごまかそうとした。

ドアを開けると、陳河が立っていた。彼の目は腫れぼったく、どこか疲れた表情をしている。

「具合でも悪いのか?顔色がすごく悪いよ」

「ううん、大丈夫。ちょっと風邪気味だっただけ」

美玉は無理に笑った。しかし陳河の鋭い視線は、部屋の中の異変を見逃さなかった。床に落ちた吸い殻、灰皿の痕跡、アルコールの匂い。彼の目つきが変わった。

「美玉、俺たち話さないか」

「話って…何を」

「この間のことだよ。お前、最近おかしい。学校もよく休むし、帰りも遅い。電話しても出ないし」

陳河の声には切実さが混じっていた。美玉は俯き、自分の指先を見つめる。爪の先は黄色く変色し、タバコのヤニが染みついている。

「心配するなって。ただちょっと体調が…」

「嘘をつくな」

陳河の声がひときわ大きくなった。美玉は驚いて顔を上げる。彼の目には怒りとも悲しみともつかない感情が渦巻いていた。

「お前の部屋から酒の匂いがする。それに、タバコを吸ってるんだろ?昔は嫌ってたのに」

「…やめられないんだ」

美玉の声は震えていた。自分でも制御できないこの衝動を、どう説明すればいいのか分からない。

「やめられないって…そういう問題じゃないだろ。何があったんだ?マークって男と、まだ会ってるのか?」

その名前を聞いた瞬間、美玉の全身が強張った。陳河はその反応を見逃さなかった。

「やっぱりか。あいつが何かしてるんだろ?全部話してくれ。俺が何とかするから」

「何も…何もないよ」

美玉は顔を背けた。すると陳河は深く息を吸い込み、震える声で言った。

「もう限界だ。お前がこうなっていく姿を見てられない。もし…もしそれが続くなら、俺たち一旦距離を置こう」

「え…?」

美玉の耳に入ったその言葉は、まるで氷水を浴びせられたような衝撃を与えた。

「別れようって言ってるのか?」

「別れたいわけじゃない。でも、このままじゃお前が壊れてしまう。俺はお前を救いたいんだ。でも、お前が助けを拒むなら、どうしようもない」

陳河の目から涙がこぼれ落ちた。美玉は彼のそんな姿を初めて見た。

「やめて、そんなこと言わないで…」

美玉は彼の腕にしがみついた。涙が止まらない。自分でも何を言っているのか分からないまま、言葉をまくし立てる。

「私が悪かった。もう行かない、マークのところにも行かない。タバコもやめる。酒も二度と飲まない。だから、別れないで」

しかし陳河は首を振った。

「もう何度もそう言っただろ。そのたびに裏切られてきた。俺は信じたい。でも、お前が変わろうとしない限り、同じことの繰り返しだ」

「変わる!今すぐ変わるから!」

美玉は叫んだ。しかし心の奥底では、自分が変わることができないことを知っていた。マークから逃れられない自分。酒とタバコに溺れる自分。もう後戻りできない場所に立っていることを、彼女は自覚していた。

陳河は美玉の手を優しく、しかし確かな力で解いた。

「俺も考えたい。少し時間をくれ」

そう言い残して、彼は部屋を出て行った。ドアが閉まる音が虚しく響く。美玉はその場に崩れ落ち、声を殺して泣いた。しかしその涙の意味は、自分自身にも分からなかった。失いたくないという気持ちと、もはや手放すことのできない快楽。その両方に引き裂かれながら、彼女は拳で床を叩き続けた。

完全な放棄

# 第6章: 完全な放棄

夜の帳が下りた街角で、劉美玉は震える手でスマートフォンを握りしめていた。三十分前、陳河から送られたメッセージがまだ画面に残っている。

「美玉、どこにいるの?話したいことがある。待ってるから。」

彼女はメッセージを読み返すたびに胸が締め付けられる思いだった。けれども、もう戻れない。その事実が彼女の心を蝕んでいた。

「美玉、大丈夫か?」

優しい声が背後から聞こえた。振り返ると、マークが心配そうな表情で立っていた。彼の手には二本のビール瓶があった。

「少し落ち着こう。君はあまりにも緊張しすぎている。」

劉美玉は首を振った。「もう行かなくちゃ。陳河が待ってるから。」

「彼は君を理解していない。」マークは静かに言った。「君がどれだけ苦しんでいるか、彼にはわからない。俺はわかるんだ。君の目に映る悲しみが。」

その言葉は、まるで彼女の心の奥底を見透かすようだった。劉美玉は唇を噛みしめた。

「違う…彼はただ心配してくれてるだけ。」

「心配?それとも束縛?」マークは軽く笑い、ビール瓶を差し出した。「一杯だけ。それで帰るかどうか決めればいい。」

劉美玉は迷った。アルコールは今の自分にとって危険だとわかっていた。しかし、痛みを忘れたいという誘惑には抗えなかった。

「…一杯だけ。」

彼女は瓶を受け取り、一口飲んだ。冷たい液体が喉を通り抜ける。それと同時に、何か違和感を覚えた。ビールの味が少し変わっていた。薬のような苦みが混じっている気がした。

「どうした?」マークが問いかける。

「いや…何でもない。」劉美玉はそう答え、さらに数口飲んだ。

数分後、彼女の視界がぼやけ始めた。周りの音が遠くに聞こえる。体の力が抜けていく。

「マーク…私…」

「大丈夫だ。」彼の声が優しく耳元で響く。「俺に任せろ。楽にしてくれ。」

劉美玉は必死に抵抗しようとした。しかし、手足が思うように動かない。意識は次第に闇に沈んでいった。

***

目が覚めた時、彼女は見知らぬ部屋にいた。薄汚れたシーツの上で、服は乱れていた。隣にはマークが眠っている。

瞬間、昨夜の出来事がフラッシュバックのように蘇る。アルコール。薬。そして…行為。劉美玉は吐き気を抑えきれず、口を押さえて洗面所に駆け込んだ。

鏡に映る自分は、別人のようにやつれていた。目の下には濃い隈ができ、肌は青白い。

「何をしてるの…私…」

涙が止まらなかった。シャワーを浴び、体を何度も洗った。しかし、汚れは決して落ちないように感じられた。

部屋に戻ると、マークが起きていた。彼はベッドに腰掛け、タバコを吸っていた。

「おはよう、美玉。よく眠れたか?」

「何てことをしたの…」劉美玉は声を震わせた。「私に何をしたか、わかってるの?」

マークはゆっくりとタバコの煙を吐き出した。「君も楽しんでいたじゃないか。覚えていないのか?」

「そんなはずない…!薬を盛ったんだろう!」

「盛った?」マークは笑った。「君は自分から飲んだんだ。俺を信頼して。そして、本当の自分を解放したんだよ。」

「違う…そんなこと…」

「本当の自分に気づく時が来たんだ。」マークは立ち上がり、彼女に近づいた。「もう偽りの自分に縛られる必要はない。陳河のために完璧な彼女を演じる必要もない。」

「黙れ!」劉美玉は叫んだ。「お前のせいで…全てが…」

「俺のせい?」マークは彼女の肩を掴み、瞳を覗き込んだ。「違う。君自身の欲望のせいだ。認めろ、美玉。君はもっと深い快楽を求めている。普通の恋愛なんかじゃ満足できない。」

その言葉は、彼女の心の最も暗い部分を抉った。確かに、陳河との関係は温かく、安定していた。しかし、どこか物足りなさを感じていたのも事実だ。

「違う…私は…」

「覚えているか?初めて会った時、君の目は何かを求めていた。冒険を。危険を。陳河はそれを与えられない。だが、俺は違う。」

劉美玉は首を振り続けたが、彼の言葉は確信を持って響いた。

「もう遅いよ、美玉。君はもう俺のものだ。そして、俺は君の本性を目覚めさせた。もう戻れない。」

その言葉に、劉美玉の肩から力が抜けた。全てが終わった。彼女は床に崩れ落ち、泣き叫んだ。

「どうして…どうしてこんなことに…」

マークはしゃがみ込み、彼女の髪を撫でた。「泣くことはない。これから始まるのは新しい人生だ。もっと自由で、もっと刺激的な。」

劉美玉は嗚咽を漏らしながら、考えた。もう陳河の元には戻れない。汚れた自分を受け入れてくれるはずがない。家族も友人も、きっと失望する。全てを失った。

「もう…どうでもいい…」

「そうだ。全てを諦めろ。そうすれば楽になる。」マークは優しくささやいた。「抵抗することをやめ、自分を受け入れろ。」

その言葉に、劉美玉の心に変化が生じ始めた。もういい。これ以上苦しむのは嫌だ。堕落するなら、徹底的に堕ちてしまおう。

「…わかった。」彼女の声はかすれていた。「もう抵抗しない。」

「賢明な選択だ。」マークは笑みを浮かべた。

***

その日から、劉美玉は変わった。陳河からの電話には出ず、メッセージにも返信しなかった。大学にも行かず、部屋に閉じこもった。

マークは毎日のように彼女のもとを訪れ、酒と薬を持ってきた。劉美玉はそれらを拒まず、むしろ積極的に求めるようになった。

「もっとくれ…もっと…」

「そうだ、美玉。自分を解放しろ。」

最初のうちは罪悪感と恐怖が彼女を苛んだ。しかし、アルコールと薬物がその感情をかき消してくれた。次第に、彼女はそれらなしではいられなくなった。

一週間が過ぎた頃、劉美玉は小さなアパートのベッドで横になっていた。窓から差し込む光が、だらしない姿を照らし出す。

彼女は天井を見つめながら、無意識のうちに呟いた。

「もう…どうでもいい…私が誰でも…」

その時、スマートフォンが震えた。陳河からの着信だった。劉美玉はしばらく迷った後、通話ボタンを押した。

「もしもし…」

「美玉!やっと出たな!どこにいるんだ?心配してたんだぞ!」陳河の声は切羽詰まっていた。

「大丈夫だから…もう連絡しないで。」

「何言ってるんだ!今すぐ会いたい!どこにいる?」

「会えない…もう終わりにしよう、陳河。」

「終わり?どういう意味だ?」

劉美玉は深く息を吸い、冷たい声で言った。「別れよう。俺たちは合わない。」

「何もかもを諦めたんだ。」

電話の向こうで陳河が言葉を失う気配が伝わった。劉美玉は通話を切った。

スマートフォンをベッドに投げ捨て、彼女は天井を見上げた。涙は出なかった。もう泣くことさえも面倒だった。

ドアが開く音がした。マークが入ってきた。彼の手には新しい酒の瓶と小さな袋があった。

「準備はいいか?」

劉美玉はゆっくりと体を起こし、笑った。それは、以前の彼女からは考えられないほど虚ろな笑顔だった。

「ああ。もう何も怖くない。」

全てを放棄したその瞬間、劉美玉の中の何かが完全に壊れた。第二の人生が始まろうとしていた。

外見の変貌

# 第七章:外見の変貌

鏡の中の自分を、劉美玉は初めて他人のように眺めた。

洗面所の白い蛍光灯が、彼女の新しい姿を容赦なく照らし出す。かつて腰まであった黒く艶やかな長髪は、今や肩甲骨のあたりでばっさりと切り落とされ、その先端は派手なプラチナブロンドに染め上げられていた。根元から二センチほどはまだ黒いままで、そのコントラストが意図的に計算されたものだと誰の目にも明らかだった。

右耳には三つ、左耳には五つのピアス。一番新しいものは昨日開けたばかりで、まだ少し赤みを帯びている。鎖骨のすぐ下、胸元に広がる黒い薔薇のタトゥーは、痛みに耐えた証のように肌の上で咲き誇っていた。

「どうだい、気に入ったか?」

マークの声がスマートフォンから流れてくる。彼女はビデオ通話で、自分の変貌を彼に見せていた。

劉美玉は唇を引き結び、答えようとしてやめた。代わりに、新しいルージュを塗り直す。真紅。かつて彼女が「派手すぎる」と避けていた色だった。

「もっと露出の多い服を着ろよ。お前の体は武器だ。使い方を覚えろ」

マークの言葉が耳の奥で反響する。彼女はクローゼットを開け、以前は決して選ばなかったような服を手に取った。黒いレザーのミニスカート、クロップドトップ。へそが露出し、背中は大きく開いている。

着替え終えた彼女は、もう一度鏡を見た。知らない女がそこにいた。目つきは鋭く、口元には冷笑にも似た余裕が浮かんでいる。

「今夜のパーティー、楽しみにしてるぜ」

マークが通話を切る。その瞬間、部屋に静寂が戻った。劉美玉はベッドに座り込み、見慣れない自分の手を眺めた。爪は漆黒に塗られ、指先には安物のシルバーリングが輝いている。

この二週間、彼女は変わった。いや、変わらされたのか。あるいは、自ら変わったのか。その境界はもう曖昧だった。

初めてマークのパーティーに行った日、彼女はただ隅で飲み物を手に立ち竦んでいるだけだった。だが、二度目、三度目と回を重ねるうちに、彼女は中央へと歩み寄っていた。人々の視線が集まる場所。誰もが彼女を見る。その快感は、陳河と一緒にいる時の安らぎとは全く別のものだった。

陳河。

その名前を思い浮かべた瞬間、胸の奥が鋭く疼いた。彼はまだ知らない。彼女がタバコを吸い始めたことも、髪を染めたことも、タトゥーを入れたことも。彼女はただ、大学に行くと嘘をついては、マークのアパートや知人の別荘で開かれるパーティーに参加していた。

陳河からの電話は徐々に減った。彼女が適当な理由で会うのを避けるようになったからだ。最初は心配していた彼も、最近はどこか諦めにも似た諦念を帯び始めている。

「もういいや」

劉美玉は立ち上がり、バッグを手に取った。今夜のパーティーは、街の外れにある古い倉庫を改装したクラブだ。マークが「特別な夜になる」とほのめかしていた。

外に出ると、秋の夜風が肌を撫でる。露出の多い服装には少し寒かったが、彼女はそれすらも快感に変えていた。通りすがりの人々の視線。好奇、賞賛、あるいは軽蔑。どんな視線でも構わなかった。ただ、見られること自体が彼女を存在させた。

クラブに着くと、既に大音量の音楽が轟いていた。ベースの振動が床を伝い、全身を震わせる。色とりどりの照明が暗闇を切り裂き、人々の影を歪めて映し出す。

「美玉!」

マークが彼女を見つけて手を振った。彼の周りには数人の男たちと、化粧の濃い女たちがいた。劉美玉は胸を張り、ヒールの音を響かせて彼らのもとへ歩いていく。

「おお、すげえじゃねえか。そのタトゥー、よく似合ってるぜ」

マークの友人の一人、名前も知らない男が彼女の肩を抱こうとする。劉美玉は半身をひねってかわし、代わりにマークの隣に立った。

「今夜はどんな感じ?」

「これからだよ。三十分後に、面白い連中が来る。お前も気に入ると思うぜ」

マークはウイスキーのボトルを彼女に差し出した。劉美玉はためらわずに受け取り、直接瓶を口に当てて飲む。アルコールの熱が喉を焼き、胃の中で弾けた。咳き込みそうになるのを必死にこらえ、笑顔を作る。

「強いな」

「お前も強くなったよ、美玉。最初に会った頃のお前は、酒も飲めない、タバコも吸えない、純情な子羊だったのにな」

マークの言葉には皮肉が混じっているようで、同時に賞賛も含まれていた。劉美玉はその曖昧さに甘んじることを選んだ。

夜が更けるにつれ、彼女は何杯目の酒を飲んだか分からなくなった。視界はぼやけ、思考は断片的になる。だが、その感覚こそが彼女を自由にした。覚醒している時は、どうしても考えてしまう。陳河のこと、両親のこと、かつての自分のこと。

「美玉、踊ろうぜ」

誰かに手を引かれ、彼女はダンスフロアへと連れ出された。体は自然にリズムに乗り、腰を振り、髪を振り乱す。周りの視線が熱を帯びているのを感じる。男たちの目、女たちの羨望、あるいは嫉妬。

彼女はその中心にいた。

そうして、午前二時を過ぎた頃だった。クラブの入口に、見覚えのある影が現れたのは。

陳河だった。

一瞬、劉美玉の息が止まった。彼がどうしてここを知っているのか。彼女は誰にも教えていない。だが、その問いの答えはすぐに分かった。陳河の隣に立っているのは、彼の妹の陳夢瑶だった。彼女は目を丸くして、劉美玉を見つめている。

「美玉姉…?」

陳夢瑶の声は音楽にかき消されたが、口の動きで彼女がそう言ったのが分かった。

劉美玉は踊るのをやめ、その場に立ち竦んだ。

陳河がゆっくりと歩み寄ってくる。彼の目には、信じられないという表情と、深い悲しみが混在していた。彼の視線は、彼女の髪、ピアス、タトゥー、そして露出の多い服装を一通りなぞった。

「…美玉」

彼の声は掠れていた。劉美玉は何も言えず、ただそこに立っている。

「これが…お前なのか?」

その問いには、答えようがなかった。

彼女が黙っている間に、マークが背後から近づいてきて、彼女の腰に手を回した。

「おいおい、誰だよこの坊やは?お前の知り合いか?」

マークの言葉に、陳河の顔が歪む。彼はマークの目をまっすぐに見据えた。

「彼女の恋人だ。手を離せ」

「恋人?へえ、聞いてないぞ、美玉。お前まだこんなガキと付き合ってたのか?」

マークは大笑いし、周りの連中もそれに続く。劉美玉の頬が熱くなった。羞恥か、怒りか、それとも別の何かか。

「出て行け、陳河」

彼女の口から吐き出された言葉は、自分でも驚くほど冷たかった。

陳河は目を見開いた。その瞳に、涙が浮かびかける。

「…何を言ってるんだ?俺たち、もう一ヶ月もまともに話してない。お前は電話にも出ないし、俺のメッセージは既読無視だ。今日、夢瑶がお前を見たって言うから、まさかと思って来てみれば…」

「そうだよ、これが今の私だ。文句ある?」

劉美玉はマークの腕を振り払い、一歩前に出た。ヒールの音がフロアに響く。

「お前はいつも真面目で、堅実で、退屈だった。私がタバコを吸えば嫌な顔をするし、スカートが短ければ注意する。まるで私の父親みたいだ」

「それは…お前を心配してるからだ!」

「私はもう子供じゃない!自分のことぐらい自分で決められる!」

二人の声がクラブ中に響き渡る。周りの人間たちが囃し立て、スマートフォンを向ける者まで現れた。陳夢瑶は泣きそうな顔で兄の腕を掴んでいる。

陳河は唇を噛み、拳を握り締めた。彼の目にはまだ、かすかな希望の光が宿っていた。

「…もう一度だけ聞く。家に帰ろう。このままじゃダメだ。お前が自分を壊してるだけだ」

「帰らない」

即答だった。

その瞬間、陳河の中で何かが切れた。彼の目から光が消え、代わりに虚無にも似た諦めが広がった。

「…分かった」

彼は短く言うと、陳夢瑶の手を引いて振り返った。二、三歩歩き、立ち止まる。

「もう二度と、俺から連絡はしない。お前からも、するな」

その背中は、かつて彼女が頼りにしていたものと同じだった。だが今は、あまりにも遠い。

陳河と陳夢瑶がクラブを出ていくのを、劉美玉はただ見送ることしかできなかった。胸の奥が激しく痛む。彼を追いかけたい衝動と、その場に留まりたい欲望が、体内で激しく衝突する。

「よくやった、美玉」

マークが再び彼女の腰に手を回す。この感触にも、もう慣れてしまいそうだった。

「新しい人生の始まりだ。今日からお前は、本当の自由を手に入れたんだ」

劉美玉は手に持っていたウイスキーの瓶を一気に空けた。アルコールが、痛みを麻痺させていく。

そうだ、これでいい。これで自由になった。誰にも縛られない。誰の期待も背負わない。

しかし、帰り道、一人でアパートに戻った彼女は、鍵を開けることもできずにドアの前で蹲った。膝を抱え、震える体を必死に抑える。

陳河の最後の言葉が、頭の中で無限に反響する。

「もう二度と、俺から連絡はしない」

それは、彼女が自ら選んだ結末だった。それでも涙が止まらなかったことに、劉美玉はただ驚くばかりだった。

鏡の中の見知らぬ女は、化粧が崩れ、無残に泣いていた。その姿が、彼女の新しい現実を如実に物語っていた。

欲望の深淵

# 第八章 欲望の深淵

夜の闇が街を包み込む頃、劉美玉はマークの高級マンションの一室にいた。部屋の中は異様な熱気に満ち、彼女の肌には冷や汗が滲んでいる。

「さあ、リラックスしなさい」

マークの声は甘く囁くように、しかしその目は獲物を狙う獣のそれだった。彼の隣には見知らぬ黒人男性が立っている。

劉美玉は震える手を握りしめた。心の奥で何かが叫んでいる——逃げろ、と。しかし彼女の足は動かなかった。まるで根が生えたように、その場に縫い止められている。

「紹介するよ、こいつはジェイク。僕の古い友人だ」

マークがそう言うと、ジェイクと呼ばれた男がにこりと笑った。その笑顔には淫猥な意味が込められている。

「美しいね、マーク。君の言う通りだ」

ジェイクが手を伸ばし、劉美玉の頬に触れる。その指は冷たく、彼女の肌に嫌な感触を残した。

「やめて...」

劉美玉の声はかすれていた。しかしその抵抗は、すでに形だけのものだった。

マークが彼女の背後に回り、耳元でささやく。

「もうわかってるだろう?君は僕のものだ。全てを捧げるんだ」

その言葉が呪文のように彼女の抵抗を打ち砕く。劉美玉の目から光が消えた。

---

部屋の照明が落とされ、代わりに赤みがかった間接照明が灯る。三人の影が壁に映り、歪に揺れていた。

劉美玉はベッドの上に横たわっていた。彼女の服は一枚また一枚と剥ぎ取られ、裸身が露わになる。

「美しい...」

ジェイクが彼女の胸に手を伸ばす。その指が乳首をなぞると、劉美玉の体が微かに震えた。

マークはその様子を満足げに眺めていた。彼の手にはスマートフォンがあり、そのレンズが彼女の全てを捉えている。

「いい子だ。そのまま動くな」

カメラのシャッター音が部屋に響く。劉美玉は何も感じなかった。羞恥も恐怖も、もうとうに麻痺していた。

ジェイクが彼女の脚を開かせる。その指が秘部に触れた時、劉美玉は唇を噛みしめた。

「濡れてるな。感じてるんだろ?」

ジェイクの言葉に答えず、劉美玉は天井を見つめ続けた。そこには何もない。ただ真っ白なキャンバスが広がっているだけだった。

---

行為が始まった。二人の男が彼女の体を好き放題に弄ぶ。劉美玉はされるがまま、時折小さな喘ぎ声を漏らすだけだった。

「もっと声を出せよ」

マークが彼女の髪を掴み、無理やり顔を上げさせる。その目は虚ろで、どこも見ていない。

「僕の言う通りにしろ」

マークの手が彼女の顎を掴む。そして彼は自分の欲望を彼女の口に押し込んだ。

劉美玉は吐き気を覚えた。しかし彼女は抵抗しなかった。ただ無心に、機械的にその要求を遂行する。

「そのまま飲め」

マークの命令に従い、劉美玉は精液を飲み干した。その味は苦く、生暖かく、彼女の喉を焼いた。

屈辱が彼女の心を満たした。しかし同時に、どこかで充足感もあった。自分がもう二度と戻れない場所に立っているという、倒錯した安心感。

ジェイクが彼女の背後から挿入する。激しい動きに体が揺れ、劉美玉はただそれに身を任せた。

---

すべてが終わった時、劉美玉はシャワールームにいた。冷たい水が彼女の体を流れ落ちる。肌には無数の痕が残っていた。

鏡に映る自分の姿を見て、彼女は小さく笑った。もう自分が誰だかわからない。あの純粋だった少女はどこに消えたのだろう。

「劉美玉...」

彼女は自分の名前を呟いた。しかしその響きは、まるで他人のもののようだった。

---

数日後、陳河が彼女のアパートを訪ねてきた。ドアを開けた劉美玉の姿を見て、彼の顔が歪む。

「美玉...ちゃんと食べてるか?やつれてるよ」

陳河の声は優しかった。しかしその優しさが、今の劉美玉には逆に痛かった。

「何の用?」

冷たい口調で彼女は言った。

「話がしたいんだ。やり直せるかもしれない」

陳河が手を伸ばす。しかし劉美玉は一歩後退した。

「もういいの。私たちは終わった」

「そんなことない!俺はまだお前を愛してる」

陳河の声が震えていた。その目には涙が浮かんでいる。

劉美玉はため息をついた。心の奥で何かが疼く。しかし彼女はその感情を押し殺した。

「愛?そんなものが何の意味があるの?」

「美玉...」

「もう来ないで。私のことは忘れて」

そう言って劉美玉はドアを閉めようとした。しかし陳河がドアに手をかけて止める。

「待ってくれ!何があったんだ?マークって男に何かされたのか?」

「関係ない」

「関係ある!お前は俺の恋人だ!」

陳河の叫びが廊下に響く。劉美玉は一瞬息を呑んだ。しかしすぐに表情を凍らせる。

「もう元の私じゃないの。わかって」

「そんなこと...」

「お願い、もう来ないで」

劉美玉の声が初めて揺れた。その一瞬、彼女の目にかつての優しさがよぎる。しかしすぐに消えた。

「さようなら、陳河」

ドアが閉まる。その向こうから、陳河の嗚咽が聞こえてきた。

劉美玉はドアに背を預け、ゆっくりと床に座り込んだ。頬を涙が伝う。彼女は声を殺して泣いた。

しかしその涙も、すぐに乾いた。彼女はもう戻れない。欲望の深淵に落ちていく自分を止めることはできない。

スマートフォンが震える。マークからのメッセージだった。

「今夜も来い」

劉美玉はそれを見つめ、やがて冷たい指で返信を打った。

「わかった」

彼女は立ち上がり、化粧を直す。鏡の中の自分は、もう何も感じない人形のようだった。

窓の外では、夜の闇が静かに広がっていた。