# 第一章 偽装して島へ
海風が塩の匂いを運んでくる。私は裸足のまま、冷たいコンクリートの埠頭に立っていた。足の裏に感じる粗い感触が、現実を突きつけてくる。薄い白いワンピースが風に揺れ、肌に張り付くたびに、ぞくりとした寒気が走る。
私はうつむき、視線を地面に落としていた。長い黒髪が顔の半分を覆い、表情を隠すのに役立っている。周囲からは、私が怯えているように見えているはずだ。実際、私はまったくの冷静さを保っていた。この島に足を踏み入れた瞬間から、私の計画は始まっている。
埠頭には他にも女たちがいた。十数人の女奴隷研修生たちが、護送役の男たちに囲まれている。彼女たちの多くは震え、顔を青ざめさせていた。中にはすすり泣く者もいる。護送役の一人が鞭を振るうと、鋭い音が空気を裂き、泣き声は一瞬で止んだ。
「並べ!早く並べ!」
怒鳴り声が響く。私はゆっくりと動き、他の女たちと一緒に列を作った。足元のコンクリートは冷たく、砂利が傷つけた足の裏に痛みが走る。しかし、私は顔に出さない。ただ、目の前の状況を冷静に観察していた。
埠頭の先には、灰色の建物がいくつも見える。学院と呼ばれる施設だ。外壁には蔦が絡まり、ところどころに剥がれた塗装が見える。一見すると古びた学校のように見えるが、中がどうなっているかは、よく知っている。
海風が髪をなびかせ、顔に張り付く。私はそれを指で払いのけながら、さらに観察を続けた。護送役の男たちは全員、黒い制服を着ている。腰には警棒を差し、胸には学院の徽章が光っていた。彼らの目つきは獣のようで、女たちを値踏みするように見ている。
「新入りか」
低い声が聞こえ、私は顔を上げた。そこには、一人の男が立っていた。他の護送役とは違い、彼はスーツを着ている。四十代半ばだろうか、笑顔を浮かべているが、その目は冷たく光っている。
「林主任です」
護送役の一人が小声で言った。私はすぐに理解した。この男が、林芝だ。学院の上級管理職で、女奴隷研修生たちの調教を担当しているという噂の人物。
林芝はゆっくりと列の前に歩いてきた。彼の目は一人一人の女を舐め回すように見ていく。そして、私の前で止まった。
「おや、これはまた」
彼は私の顔を覗き込むように見た。私は素早く視線をそらし、震えるふりをした。彼の指が私の顎に触れ、無理やり顔を上げさせる。
「かわいらしい顔だ。目が怯えている。いいぞ、その反応は」
彼の指が私の顎を撫でる。私は嫌悪感を必死に抑え、さらに震えを大きく見せた。彼は満足そうに笑うと、私の頬を軽く叩いた。
「学院へようこそ。ここでの生活を楽しむといい」
彼は列の先頭に立つと、両腕を広げて宣言した。
「諸君、今日から君たちはこの学院の一員だ。ここでは、新しい生き方を学ぶことになる。従順さ、服従、そして己の欲望を捨てること。すべては、より良い社会のためだ」
彼の声は朗々と響くが、その言葉の裏にある真意は、私には手に取るようにわかる。私は内心で冷笑した。この男は、自分が何を扱っているのか、まったく理解していないのだ。
「まずは適応期間だ。最初の一週間は、学院の規則を覚え、自分の立場を理解するための時間とする。もちろん、規則を破った者には、しかるべき罰が与えられる」
彼はそこでいったん間を置き、にっこりと笑った。
「しかし、心配することはない。私たちは皆、君たちの更生を願っている。だからこそ、この学院があるのだ」
その言葉に、何人かの女がほっとしたように息をつく。彼女たちはまだ、自分たちが何を迎え入れられているのか、本当には理解していないのだ。
護送役たちが私たちを誘導し始める。私は列の中に埋もれるようにして、前に進んだ。足元のコンクリートが石畳に変わり、さらに歩きにくくなる。裸足には辛い道のりだった。
学院の門をくぐると、中庭に出た。そこには、花壇や噴水があり、一見すると普通の学校のようだ。しかし、よく見ると、花壇の花々はすべて人工のものだった。噴水から流れる水も、どこか濁っている。
「こちらだ」
護送役に促され、私たちは建物の中に入った。中は薄暗く、消毒液の匂いが鼻をつく。廊下の両側には無数の扉が並び、それぞれに番号が振られていた。
「新入りの部屋は二階だ」
階段を上ると、さらに薄暗くなる。窓はあるが、曇りガラスになっていて外は見えない。廊下の壁には、ところどころに染みがついている。私はその染みを見て、何かがひやりとした。
「ここだ」
護送役が一つの扉の前で立ち止まる。彼は鍵を開け、中を指さした。
「入れ」
私は言われるままに中に入った。そこは狭い部屋で、二段ベッドが二つ、机が一つ、そして小さな窓があるだけだった。窓には鉄格子がはめられている。
「後で他の者も来る。それまで待っていろ」
護送役はそう言うと、扉を閉めて鍵をかけた。私は部屋の中を見回し、一番奥のベッドに腰を下ろした。
マットレスは薄く、スプリングがへたっている。壁は冷たく、湿っている。天井の隅には、カビのような黒い点々が見えた。
私は深く息を吐き、自分の状況を再確認した。私は今、女奴隷研修生という身分でこの島に来ている。しかし、本当の私は、すべてを掌握する影の女社長だ。この学院の腐敗を暴き、内部の歪みを正すために、私はこの身分を選んだ。
指先でベッドのシーツを撫でながら、私は考える。林芝は明らかに、私が何者か気づいていない。彼は私をただの怯えた女と見ている。それは好都合だ。油断している敵は、最も倒しやすい。
しばらくして、扉の鍵が開く音がした。護送役がもう一人の女を連れてきた。彼女は私と同じように白いワンピースを着て、裸足だった。顔は青ざめ、目は赤く腫れている。どうやらずっと泣いていたようだ。
「ここだ。お前はそっちのベッドを使え」
護送役は彼女を部屋の奥に押し込むと、また鍵をかけて去っていった。女は部屋の中を不安そうに見回し、私の姿を見つけると、ほっとしたような表情を浮かべた。
「あ、あの……」
彼女はおずおずと私に近づいてきた。私はできるだけ優しい表情を作り、微笑みかける。
「大丈夫?怖い思いをしたんだね」
そう言うと、彼女の目に涙が浮かんだ。
「はい……私は、蘇晩と言います。あなたは?」
「沈清澜です。よろしくね」
私は手を差し出した。彼女はためらいながらも、その手を握り返してきた。彼女の手は冷たく、震えていた。
「ここ、本当に怖いところですね。聞いていた話とは全然違う」
蘇晩は小声で言った。私は彼女の話に耳を傾けながら、同時に情報を引き出すことを考えていた。
「そうなんだ。どんな話を聞いていたの?」
「ちゃんとした教育を受けられるって……社会復帰のためのプログラムだって聞いていました。でも、埠頭であの鞭を見た時から、何か違うって気づきました」
彼女の声は震えている。私は彼女の肩に手を置き、優しくさすった。
「大丈夫、私がついているから。一緒に頑張ろう」
私の言葉に、蘇晩は涙をぬぐいながらうなずいた。しかし、私の心の中では別のことを考えていた。彼女はこの場所の実情を何も知らない。純粋に騙されて来たのだろう。同情はするが、今はそれが私の計画の邪魔になる可能性もある。
「蘇晩さんは、どうしてここに?」
「私は……借金の返済のために。家族のために、自分を売ったんです」
彼女の言葉は重かった。多くの女性が、経済的な理由でこのような場所に送られてくる。私のグループでも、かつては似たような制度があったが、私はそれを廃止した。しかし、この学院はそれを密かに続けている。
「そう……辛い決断をしたんだね」
私は彼女の手を握った。彼女は涙をこぼしながらも、必死に笑顔を作ろうとしている。
「でも、ここで頑張れば、いつか家族に会えると思っています。だから、私は耐えます」
その純粋さが、私の胸を少し痛めた。しかし、今はそれを表に出してはいけない。私はただ、優しい同室の女として振る舞うだけだ。
「一緒に頑張ろう。二人なら、何とかなる」
そう言うと、蘇晩はうなずき、自分のベッドに向かった。彼女はマットレスに座り、膝を抱えるようにして縮こまっている。
私はその様子を横目で見ながら、窓の外に目をやった。鉄格子の向こうには、灰色の空が広がっている。海鳥が一羽、旋回しながら飛んでいく。
夕方になると、護送役が夕食を運んできた。簡素なパンとスープ、そして水だけだ。私はそれを黙って受け取り、食べ始めた。味はしないが、栄養補給にはなる。
蘇晩は最初、食べる気がしないと言っていたが、私が無理やり食べさせるように勧めた。彼女は渋々ながらも、スープを口に運んだ。
「おいしい……わけないですけど、温かい」
彼女はそう言って、少し笑った。その笑顔は、かすかだが確かに希望を感じさせた。
食事を終えると、また護送役がやって来た。
「新入りは、これから適応教育を受ける。列を作って、一階の講堂に集まれ」
私たちは言われるままに廊下に出た。他の部屋からも女たちが出てきて、一列に並ぶ。全員が同じ白いワンピースを着て、裸足だった。その姿は、まさに支配される者たちの姿だった。
私は列の中ほどに並び、前に進んだ。蘇晩は私の後ろにいる。彼女の息遣いが聞こえるほど近くにいた。
一階の講堂は、広い部屋だった。正面にはステージがあり、そこに林芝が立っている。彼はまたあの笑顔を浮かべていた。
「ようこそ、適応教育へ」
彼の声が講堂に響く。女たちは皆、うつむき、震えている。林芝は満足そうにそれを見渡すと、話を続けた。
「まず、学院の規則を教えよう。規則は三つだけだ。一つ、上級者の言うことを絶対に聞くこと。二つ、決められた時間に決められた行動をすること。三つ、逃げ出そうとしないこと」
彼はそこで間を置き、教壇の上に置いてあった鞭を手に取った。
「この三つを破った者には、この鞭が与えられる。わかったな」
彼は鞭を振るうと、鋭い音が空気を裂いた。女たちの多くがその音にびくっと震える。私もそれに合わせて、肩を震わせた。
「では、これから一人ずつ前に出て、自分の名前と、なぜここに来たかを言ってもらう」
林芝はそう言うと、一番前の女を指さした。彼女はおずおずと前に進み、小さな声で自己紹介を始めた。
私は順番を待ちながら、林芝の一挙一動を観察した。彼は女たちが震えるのを見て、喜んでいる。優越感に浸っているのだ。その心理は、私にはよくわかる。かつて私も、それを使ったことがある。
順番が回ってきて、私は前に進んだ。ステージの上は明るく、私の震えがはっきりと見えているはずだ。
「私は、沈清澜と言います。なぜここに来たかは……借金の返済のためです」
私は声を震わせ、うつむきながら言った。林芝は私の前に歩いてきて、顎を持ち上げた。
「沈清澜か。いい名前だ。ここでしっかりと学べよ」
彼の指が私の頬を撫でる。私は嫌悪感を必死に抑え、ただうなずいた。
「はい、頑張ります」
その返事に、林芝は満足そうに笑った。私は彼の目が一瞬、私の胸元に落ちるのを見た。彼の欲望は、隠すことなく表れている。
自己紹介が終わると、私たちはまた部屋に戻された。蘇晩は疲れ果てたようにベッドに倒れ込む。
「辛いですね……これから毎日、こんなことが続くんでしょうか」
「わからないけど、きっと慣れるしかないんだろうね」
私はそう答えながらも、心の中で別のことを考えていた。林芝の行動パターン、護送役の配置、建物の構造。すべてを頭に叩き込んでいる。
夜が更けると、廊下から物音が聞こえてきた。はじめは足音だったが、次第に悲鳴と鞭の音が混ざり始める。
「いやっ!やめてください!」
女の叫び声が響く。それに続いて、鞭が肉を打つ音。そして、苦しげなうめき声。
蘇晩はベッドの上で縮こまり、耳を塞いだ。彼女の体は震えている。
「清澜さん……怖いです」
彼女の声はか細い。私はベッドから降り、彼女のそばに歩み寄った。
「大丈夫、私たちはここにいるだけだから」
そう言って彼女の背中をさすった。しかし、私の耳は別のことを捉えていた。悲鳴の方向、頻度、そして、その後の沈黙。すべてが情報だ。
悲鳴はしばらく続いた後、突然止んだ。そして、何かを引きずるような音が聞こえ、遠ざかっていく。
私は蘇晩の髪を優しく撫でながら、心の中で決意を固めていた。このままでいるわけにはいかない。林芝を始め、この学院の腐敗した連中を、私の手で一掃しなければならない。
窓の外から、月明かりが差し込む。私はその光を見つめながら、次の行動を考え始めていた。まずは、この学院の完全な地図が必要だ。そして、林芝の行動パターンを把握し、彼の部屋に潜入する方法を見つける。
計画は着実に進んでいる。だが、それには時間が必要だった。私はシーツを強く握りしめ、もうすぐ訪れる復讐の瞬間を心の中で刻んでいた。
蘇晩がやがて眠りにつく。私は彼女に気づかれないように、ベッドから抜け出した。窓の鉄格子を確かめ、部屋の隅々まで点検する。そして、壁に耳を当てて、隣の部屋の気配を探った。
誰かのうめき声がかすかに聞こえる。先ほどの拷問の被害者だろう。私は唇を噛み締め、怒りを抑えた。
「必ず……償わせる」
私は誰にも聞こえないように、そう呟いた。その声は、闇に消えていった。
夜が更けるにつれ、学院は静寂に包まれた。しかし、その静寂は偽りのものだ。私は知っている。この場所では、眠っている間に何が起こるかわからない。だからこそ、私は眠らずに、周囲の気配を探り続ける。
時計の針がゆっくりと進む。窓の外が少しずつ明るくなり始めた。やがて、朝日が鉄格子の隙間から差し込み、部屋の中を淡い光で満たした。
私は立ち上がり、窓の外を見た。海が広がっている。しかし、その海は逃げ道にはならない。周囲は高い壁で囲まれ、警備も厳重だ。
「まずは、水を確保する必要がある。そして、食べ物。情報は後でいい」
私は心の中で計画を練り直す。すると、廊下から足音が聞こえてきた。護送役が朝の点検に来る時間だ。
私は急いで自分のベッドに戻り、眠っているふりをした。やがて鍵が開く音がし、扉が開かれる。
「起きろ!朝だ!」
護送役の声が響く。私はゆっくりと目を開け、起き上がった。蘇晩も目を覚まし、ぼんやりとした表情で私を見る。
「おはようございます、清澜さん」
「おはよう。今日も頑張ろう」
私はそう言って、彼女に微笑んだ。その笑顔の裏で、私はすべての準備を始めていた。この偽装は、あとどれだけ続くのか。私はその答えを持っている。
やがて、復讐の時が来る。それまで、私は女奴隷を演じ続ける。誰も気づかないように、私は影の中で動くのだ。
海風が再び、窓から吹き込んでくる。私はその風に混じって、微かに聞こえる悲鳴を聞いた。それは、昨日の拷問の余韻かもしれない。それとも、新たな犠牲者の声か。
私はシーツをぎゅっと握りしめ、目を閉じた。すべては計画通り。私はこの島を、必ず変えてみせる。その覚悟は、すでに固まっている。