闇夜の堕落
第一章:深夜の酔い
午後十時を過ぎた頃、陳依婷はリビングのソファに深く座り込み、グラスの縁を指先でなぞっていた。テーブルの上には空になったワインボトルが二本。三本目も半分ほど減っている。
「遅くなるから先に寝てろって……またかよ」
彼女は呟き、グラスを傾けた。ルビー色の液体が喉を滑り落ちる。アルコールの熱が胃の腑から全身に広がっていく感覚は、虚ろな時間を忘れさせてくれるかのようだった。
麦旺輝からの連絡は簡素なものだった。『残業、遅くなる』の五文字。今日が結婚記念日だということに、彼は気づいているのだろうか。いや、気づいていない。去年もそうだった。一昨年も。
陳依婷は立ち上がり、ふらつく足取りでキッチンに向かった。シンクに置かれた食器類——義父が使った茶碗、自分が昼に食べ終えた皿。それらを流しに放置したまま、彼女は二階への階段を登り始めた。壁に手をつきながら、一段一段確かめるように。
寝室の扉を開ける。暗闇が彼女を包んだ。窓から射し込む街灯の光だけが、部屋の中をかろうじて照らしている。彼女はベッドに倒れ込むように横たわり、天井を見上げた。
「……なんでこんな風になっちゃったんだろ」
誰に言うでもない言葉が、口をついて出る。アルコールのせいで思考はぼんやりとしているのに、心の奥底に沈めていた感情だけが鮮明に浮かび上がってくる。半年。もう半年もの間、夫との肌を重ねる行為はなかった。仕事が忙しい、疲れている、その繰り返し。
彼女は自分の体を抱きしめるように腕を交差させた。ブラウスの下、胸のふくらみが自分の手のひらに収まる。夫の温もりではない、この空虚な感触。
「……もういい。寝よう」
瞼を閉じると、アルコールの酔いが一気に押し寄せてきた。意識が遠のいていく。寝室の時計が午前零時を回ったところで、彼女の呼吸は規則的になった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
微かな物音が、陳依婷の意識を浅い眠りの底から引き上げた。部屋の扉がゆっくりと開く音。だれかが侵入してくる気配。
「……旺輝……?」
彼女は寝ぼけながら呟いた。しかし返事はない。代わりに、息遣いだけが近づいてくる。アルコールに溶けた脳は、その違和感を正しく処理できない。
ベッドの端が沈む。誰かが横に座った。
「依婷……寝てるか?」
低く、かすれた声。それは夫のものではなかった。
陳依婷の背筋に冷たいものが走った。義父だ。彼女は咄嗟に飛び起きようとしたが、体がいうことをきかない。アルコールが四肢を鉛のように重くしている。
「誰……ですか……?」
掠れた声で問いかける。しかし、その声は相手の行動を止める力を持たなかった。
冷たい手が、シーツの上から彼女の脚に触れた。ゆっくりと、撫でるように膝の辺りをなぞる。
「綺麗な肌だな……旺輝のやつ、こんな綺麗な嫁を放っておくなんて、もったいないことをしてる」
義父の声には、深い悦びの色が混じっていた。彼は覆いかぶさるように体を寄せると、耳元に息を吹きかけた。
「俺が可愛がってやるよ……今夜はたっぷりとな」
「や……離して……!」
陳依婷は必死に腕を振り払おうとした。しかし、あらがう力は既にアルコールと、そして——もう一つの感情によって奪われていた。
彼女の体が震えたのは、恐怖のせいだけではなかった。半年もの間、疼き続けていた身体の奥底が、義父の指の感触に反応していたのだ。羞恥と背徳感がせめぎ合う中、彼女は自分が密かに快感を覚えていることを認めたくなかった。
「抵抗するな……気持ちよくしてやるから」
義父の手が、彼女のパジャマのボタンに触れた。陳依婷の瞳から涙がこぼれ落ちる。しかし、彼女の口から漏れたのは、悲鳴ではなかった。
か細い、艶めかしい吐息だった。
「こんなはずじゃ……なかったのに……」
彼女の抵抗は、次第に弱まっていった。代わりに、全身が甘い痺れに包まれていく。アルコールが沸騰するように熱くなる。閉じた瞼の裏に、火花のような光が散った。
「そうだ……大人しくしていろ」
義父の囁きが耳の中にこだまする。陳依婷は自分の意志とは関係なく、ゆっくりと足を開いていた。
その夜、彼女は初めて、自らの堕落の味を知った。