# カナリアの反転ゲーム
## 第1章 魂の入れ替わり
目が覚めたとき、まず感じたのは違和感だった。
天井がいつもより高い。いや、それだけじゃない。体全体が何か違う。重い。そして――胸が、異様に重い。
私はゆっくりと起き上がった。見慣れない寝室だった。真っ白なシーツ、豪華なシャンデリア、そして一面に施された金色の装飾。ここは私の部屋ではない。でも、どこかで見たような……そうだ、これは苏晚晴の部屋だ。あの偽物の令嬢が住むという高級アパートの一室。
「なんで……私がここに?」
声が出た。でも、その声は私の声じゃなかった。低く、甘く、少し掠れたような、知らない女の声。
震える手を目の前に掲げる。細くて白い指。私の指はもう少し骨張っていたはずだ。この手は違う。まるで誰かの手を借りているみたいに、不気味な感覚が全身を支配する。
「嘘……」
ベッドから転がり落ちるようにして立ち上がり、部屋の中をよろめきながら進む。鏡があった。大きな、全身が映る姿見。
そこに映っていたのは、私じゃなかった。
苏晚晴の顔。あの、いつも従順を装って俯いていた、あの女の顔。大きな瞳、朱色の唇、陶器のように透き通る肌。でも、その顔には見覚えのある淫らな痣――淫紋が刻まれていた。首筋から鎖骨、そして胸元へと続く、紫色の複雑な文様。
「な、なにこれ……」
服を引きはがすようにして胸を見る。巨大な乳房。私にはありえないほどの膨らみ。その表面にも淫紋がびっしりと刻まれている。指で触れると、ぞわぞわと気持ち悪い感覚が走った。
「違う……違う違う違う!」
頭を抱えてその場にしゃがみ込む。混乱と恐怖で思考がちぎれそうになる。私は林若汐だ。林家の令嬢だ。どうして苏晚晴の体に入っている? どうしてこの体には淫紋なんてものが――。
その時、スマホの着信音が部屋に響いた。
ベッドの上に置いてあったスマホ。苏晚晴のものだ。でも、画面には見覚えのないメッセージが表示されていた。
「ゲーム開始、雌犬」
全身の血が凍る思いがした。送信者は不明。番号も表示されていない。ただその一言だけが、暗い画面の上で浮かび上がっていた。
「誰……誰が……」
震える指でメッセージを開こうとした瞬間、また着信。今度は電話だ。画面には「お父様」と表示されている。苏晚晴の父親? いや、待って。私は今、苏晚晴の体なんだ。だったら、この電話に出れば、私の本当の父親に繋がるかもしれない。
私は必死で通話ボタンを押した。
「もしもし! お父様! 私です、若汐です!」
向こうからは、冷たい沈黙が返ってきた。
「……誰だ、お前は」
その声は確かに私の父の声だった。でも、その口調は私に向けられたものじゃなかった。まるで得体の知らない相手に話すような、警戒と軽蔑の混じった声。
「私よ! 若汐よ! 私、苏晚晴って女の体に入ってしまったの! 信じて、お父様!」
「ふざけるな。若汐は今、私の隣にいる」
「え?」
「そっちこそ、何者だ。娘を名乗るとはいい度胸だな。晚晴に何かしたら、ただじゃおかないぞ」
「違うの! 本当に私なの! 子供の頃、庭の池に落ちた時のこと覚えてる? あの時、お父様が助けてくれたんだ! それに、私の左肩にあるほくろのことも――」
「黙れ!!」
父の怒鳴り声が耳をつんざいた。
「二度と電話してくるな。若汐に触れるな。お前のような淫らな女に、娘の名を汚させるわけにはいかない」
ガチャ、と一方的に切られた。
耳元で無機質なツー音が響く。私はその場に立ち尽くしたまま、スマホを握りしめていた。
「どうして……どうしてよ……」
涙が止まらなかった。でも、この体は泣くと同時に、なぜか甘い吐息をもらす。淫紋がほのかに熱を持ち始めていた。体が勝手に反応する。屈辱的で、気持ち悪くて、それなのに――どこかでこの感覚に慣れてしまいそうな自分が怖かった。
その時、スマホにまたメッセージが届いた。
「おめでとう。お前はもう誰にも認められない。これからが本番だ、雌犬。お前の体と心、しっかり躾けてやる」
私はスマホを床に叩きつけた。画面がひび割れる。でも、メッセージは頭の中に焼き付いて離れない。
苏晚晴――あの女が、私の人生を奪ったんだ。私の家族も、私の地位も、私の名前さえも。そして今、私はこの淫らな体に閉じ込められて、誰からも見離された。
でも、その怒りが、絶望の中に一筋の光を灯した。
――絶対に、取り戻す。
私は鏡の中の自分を睨みつけた。淫紋にまみれた苏晚晴の顔。でも、その瞳だけは、確かに私、林若汐のものだった。
「思い知らせてやる……誰が本当の雌犬か、思い知らせてやるんだから」
その言葉は、部屋の静けさに吸い込まれるように消えた。でも、私の心の中で、復讐の炎は静かに燃え上がり始めていた。