図書館の静寂は、林逸にとってはいつも心地よい牢獄だった。高い天井までびっしりと並ぶ書棚の間に差し込む夕日が、埃の舞う空気に細かな光の筋を落としている。彼は人文科学コーナーの奥にある机で、借り出した社会学の専門書に目を通しているふりをしていた。実際には、数分前から隣の席でノートを広げて何かを書いている蘇晴を観察することに没頭していた。
蘇晴は学園の美人女王だ。誰もがその美貌と気品に憧れる。だが林逸には、そんな彼女がいつも自分に一瞥すらくれないことが無性に腹立たしかった。彼女の周りには常に取り巻きがいて、彼女はまるで女王のように振る舞っている。しかし林逸は知っている。本当のところ、彼女はもっと弱い存在なのだと。何しろ彼の劣等感は、他人の弱みを嗅ぎつける嗅覚を研ぎ澄ませていたからだ。
蘇晴がふと立ち上がり、書架の奥へと姿を消した。何かを探しているらしい。彼女の席には、忘れ去られたように小さなノートが置き去りにされていた。表紙は無地で、一見、取るに足らないものに見える。しかし林逸の直感が告げる——あれは彼女の日記だ。
彼は素早く周囲を見回した。他に学生はいない。図書館の司書もカウンターの向こうで本の整理に忙しい。時間は味方していた。林逸は立ち上がり、わざと歩きながらカバンからペンを落としたふりをして、蘇晴の机の横にしゃがみ込んだ。指先がノートの背に触れる。一瞬の迷いもなく、彼はそれを自分のカバンのポケットに滑り込ませた。
心臓が早鐘を打つ。だがそれは恐怖ではなく、期待の鼓動だった。彼は元の席に戻り、専門書に目を落としたふりをしながら、カバンの中でノートを撫でる。蘇晴が戻ってきたとき、彼女は自分の机を見て一瞬慌てたように周囲を見渡したが、すぐにまた書架へと戻っていった。彼女の動揺が、林逸にはたまらなく愉快だった。
家に戻るまでの数十分が、林逸には永遠のように長く感じられた。アパートの自室に鍵をかけ、カーテンを閉める。作業机の上にノートを置き、息を吸ってからページを開いた。最初の数ページは、授業の簡単なメモやスケジュールが書かれているだけだった。だが十ページ目を過ぎたあたりから、字が細かくなり、筆圧が強くなる。
『十一月二十日。父がまた電話をかけてきた。今度は五百万円だ。奨学金だけではもう足りない。母は病気で入院中だというのに、父は私に金を送れと迫る。学園の寄付金の管理を任されていることが、今では呪いのように思える。計算書は私一人で確認しているため、他の者は誰も気づかない。だが、もしバレたら——』
林逸の指が文字の上をなぞる。彼の顔に、ゆっくりと皮肉な笑みが浮かんだ。寄付金の横領。学園の美人女王が、家庭のプレッシャーに押し潰されて、まさかそんな罪を犯していたとは。読み進めるうちに、さらに詳細が明らかになる。彼女は管理職の承認を偽造し、既に三度にわたって寄付金を自分の口座に移していた。その額は合計で約一千万円。もし発覚すれば、退学どころか刑事告訴は免れない。
「蘇晴……お前はもう、私のものだ」
林逸はそっとノートを閉じた。掌に収まるこの薄い一冊が、彼にとっては何よりも価値ある鍵だった。彼はスマホを取り出し、ノートの内容を一枚ずつ写真に収める。万が一、ノート自体を失っても、証拠は自分の手中にあるという安心感が欲しかった。
翌日、林逸はいつもより早く大学へ向かった。図書館の返却ポストに、匿名でノートを投函する。蘇晴がそれを取り戻すかどうかは問題ではない。重要なのは、彼女が自分の弱みを握られているという恐怖を味わうことだ。
放課後、林逸は蘇晴の研究室を訪ねた。ドアをノックすると、中から疲れた声が聞こえる。
「どうぞ」
彼が入ると、蘇晴は顔を上げた。その目には、昨日の図書館での出来事がまだ残っているのか、わずかに不安の影が揺れている。林逸は礼儀正しく微笑み、そっと机の上にコピーした写真の一枚を置いた。
「蘇晴先輩、これ、図書館で拾ったんですけど、もしやご存じですか?」
蘇晴の顔色が一瞬で青ざめた。彼女の震える手が写真をつかみ、内容を確認する。林逸はその反応をじっくりと味わいながら、ほんの少し間を置いてから付け加えた。
「この後、学園のカフェテリアでお会いしませんか?話したいことがあるんです。もちろん、お互いにとって意味のある話ですよ」
彼はそう言って、優しい笑みを浮かべた。その笑顔の裏にどれほどの毒が潜んでいるか、蘇晴にはまだわかっていない。だが、彼女の肩が微かに震えたのを見て、林逸の心は歓喜に震えた。これから始まる支配の日々を思うと、何よりの快感だった。
蘇晴は何も言えずにうつむいた。彼女の沈黙は、すでに答えを意味していた。林逸は軽く会釈して部屋を出た。廊下の窓から差し込む夕日が、彼の影を長く床に伸ばしていた。その影はまるで、自ら進んで罠に落ちてゆく獲物を、確実に追い詰める獣のようだった。