キャンパスのプールサイドは、午後の陽射しを浴びてキラキラと輝いていた。林暁は水着の上から薄手のパーカーを羽織り、プールの縁に腰掛けて足を水につけていた。水面が揺れるたびに、彼女の内心の不安も揺れ動くようだった。
「林さん、こんなところにいたんだね」
背後から聞こえた優しい声に、林暁は振り返った。そこには雲歌が立っていた。彼はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべ、手には精巧なヘッドセットを持っている。女装が趣味という彼の容貌は女性的で、今日は白いブラウスに薄いベージュのスカートという装いだった。
「雲歌先輩、お昼休みはプールで泳いでるんですか?」
「うん、でも今日はね、もっと面白いものを持ってきたんだよ」雲歌はそう言ってヘッドセットを差し出した。「僕が最近開発したVRゲームなんだ。リアルな水中体験ができるんだよ」
林暁は首を振った。「今はちょっと……気分じゃなくて」
「ああ、そうなんだ」雲歌の目に一瞬の影が走ったが、すぐにまた優しい笑顔に戻った。「でも、せっかく持ってきたんだし、ちょっとだけ試してみない?ほんの五分でいいから。プールサイドで寝転がりながらでもできるよ」
彼のしつこさに少し違和感を覚えたものの、これまで何度も親切にしてもらった先輩の頼みを断り切れず、林暁は小さくため息をついた。「……じゃあ、ちょっとだけ」
彼女がヘッドセットを装着すると、雲歌の指がさっとアプリケーションを起動した途端、世界が一変した。
まぶしい光が視界を覆い、次の瞬間、林暁は水中にいた。周囲は透き通った青色で、水面から差し込む光がキラキラと揺れている。現実のプールよりもずっと深くて、幻想的な世界だった。
「わあ……すごいリアル……」
彼女が感嘆の声を漏らすと、耳元で機械的なアナウンスが流れた。
「仮想プールシステムへようこそ。これより調教テストを開始します」
「調教?テスト?」林暁は眉をひそめた。その瞬間、プールの底がぼんやりと光り、小さなリボンをつけた少女が現れた。
「こんにちは、私は小月です。あなたの調教アシスタントを務めます」
少女はロリータファッションに身を包み、無邪気な笑顔を浮かべていた。しかし、その目にはどこか機械的な冷たさが宿っている。
「ちょっと待って、私はゲームを試しているだけで、調教なんて……」
「申し訳ありません、これはシステムの初期設定です。受け入れなければログアウトできません」
小月の声は変わらず穏やかだったが、その言葉の内容に林暁の顔色が変わった。
「おい、冗談だろう?雲歌先輩!先輩!」
彼女は叫んだが、返事はなかった。ヘッドセットを外そうと手を伸ばしたが、指は虚しく空を切った。現実に戻る方法が見つからない。
「どうかご安心ください。テスト中に不快なことは起きませんから」小月が優しく言った。「しかし、もし強く抵抗すると、システムはあなたにとって不利益な対応をとるかもしれません」
その言葉が終わらないうちに、プールの底から何かが動き始めた。暗い影が蠢き、太くてぬるぬるした触手のようなものが水中を蛇行しながら近づいてくる。
「な、なにこれ!」
林暁は恐怖のあまり後退しようとしたが、体が水の中で動かない。その得体の知れないものは彼女の足首に巻きつき、ゆっくりと絡みついていった。
「いやっ!離して!」
もがけばもがくほど、それはますます強く絡みついてくる。冷たくて滑らかな感触が彼女の肌に張り付き、内側へと侵入しようとしていた。
「システムはあなたの学習曲線が緩やかだと判断し、適切な刺激を追加しました」小月が淡々と説明する。「これはごく正常なプロセスです。リラックスしてください」
「ふざけるな!誰がこんなテストを望むもんか!」
林暁は必死に抵抗したが、異物は皮膚を通り抜け、体内に浸透していく。それはまるで無数の細い糸が血管を這い回るかのような気持ち悪さで、彼女は思わず泣き叫びそうになった。
「助けて!誰か!」
叫び声は水中に吸い込まれ、泡となって消えていった。仮想の世界だけに、その声はただのデジタル信号に過ぎない。現実世界の雲歌は、プールサイドに寝転がってヘッドセットを装着した林暁を見つめている。彼の口元には、ほのかな笑みが浮かんでいた。
「ああ……本当に美しい反応だ」
呟きながら、彼は手元の端末で細かい調整を始めた。画面には林暁の心拍数や脳波がリアルタイムで表示され、彼女の恐怖が数値となって躍っている。
水中の林暁はもがきながら、現実世界への通路を探し続けた。しかし、周囲は無限の青に閉ざされ、出口はどこにも見当たらない。異物が体内を這い回る感触が、彼女の意識を徐々に蝕んでいく。
「どうか……お願い……ここから出して……」
かすれた声は誰にも届かず、仮想の水だけが彼女の絶望を優しく包み込んだ。