# 第一章 封印の地に迷い込む
雲霞も立ち込める深い谷の奥、林淵は古びた地図を片手に、苔むした岩の間を縫って進んでいた。天剣宗から「九死一生の禁地」と評されるこの谷は、霊薬採りの散修にとっては命懸けの宝庫でもある。危険を承知で足を踏み入れたのも、修練の壁を破る薬草がここにしかないと聞いたからだ。
「妙なる香りだ…」
ふと鼻を掠めた異様な芳香に、林淵は足を止めた。それは普通の草花の匂いではなく、霊力の濃密さを物語る香りだった。彼は慎重に香りの元を辿り、やがて岩壁に隠された裂け目を見つけ出す。狭い隙間をすり抜けると、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。
暗い地下空間だった。中央に据えられた石の台座――陣眼からは鈍い光が漏れ、周囲には無数の符文が刻まれている。そして、その陣眼の上に一人の女が鎖で磔にされていた。
林淵は息を飲んだ。
女は白く透き通るような肌を持ち、長い黒髪が痩せた肩に垂れていた。その肢体は布切れのように薄い衣をまとい、全身に幾つもの金属のピアスが輝いている。乳首を貫く銀の輪、臍の下に埋め込まれた宝玉、そして何より目を引いたのは、彼女の股間に繋がれた細い鎖だった。それは陣眼の中心へと伸び、彼女の最も秘められた部分を地上に縫い付けるように固定していた。
女――蘇媚はゆっくりと顔を上げた。深い瞳は闇の中で赤く光り、林淵を捉える。
「おや…久しぶりのお客さまね」
声は枯れていたが、それでも甘く絡みつくような響きがあった。蘇媚は首を傾げ、形の良い唇に微笑みを浮かべる。
「あなた、見たところ悪くない男ね。助けてくれない?」
林淵は動じず、冷静に周囲を観察した。封印の陣。恐らくは上古の時代に魔物を封じたものだろう。しかし、目の前の女からは確かに強大な霊力が感じられる。決して無視できる相手ではない。
「あなたは何者だ」
「名前? 蘇媚よ。もう忘れてしまいそうなくらい長くここにいるけどね」
彼女は体を微かに揺らす。鎖が擦れて金属音が響き、その度にピアスが彼女の柔肌を刺激する。蘇媚はわざとらしく眉をひそめた。
「ねえ、この鎖、解いてくれない? 私はもうこんな罰に飽き飽きなの」
「封印された魔物を解放するとでも思っているのか」
林淵の冷ややかな言葉に、蘇媚の瞳が細められた。しかし彼女はすぐに優しい笑みを取り戻し、声のトーンを甘くする。それは聞く者の心を溶かすような、魅惑に満ちた音色だった。
「私はただ、間違って閉じ込められた可哀想な女よ。あなたの手で自由にしてくれたら、恩に着るわ――そうね、どんな願いでも叶えてあげる」
その声には確かに魔力があった。林淵の心に微かな揺らぎが生じる。だが、彼はすぐに精神を集中させ、冷静さを取り戻した。散修として長年、人の心を読む術に長けてきた。この女の言葉は美しい毒だ。
「お前の術は俺には通じない」
林淵が言い放つと、蘇媚の顔から笑みが消えた。代わりに浮かんだのは苦い嘲笑だった。
「ふん…やっぱりそう来るか。あなた、ただ者じゃないわね」
その瞬間、陣眼が青白い光を放ち始めた。蘇媚の表情が一瞬で恐怖に歪む。
「や、やめて…!」
轟音と共に、陣眼から雷光が迸った。それは真っ直ぐに蘇媚の股間へと伸びる鎖を伝い、彼女の全身を駆け巡る。紫電が彼女の肌を焼き、ピアスの一つ一つが白熱した。
「ああぁぁっ!」
蘇媚の悲鳴が地下空間に響き渡る。彼女の体が激しく痙攣し、鎖がガチャガチャと鳴った。乳首の銀輪が焼け付くように熱を発し、股間の鎖は彼女の最も敏感な部分を容赦なく引き裂く。苦痛で彼女の背が弓なりに反った。
「だ、だめ…許して…!」
彼女の声は泣き叫ぶような響きになっていた。だが、雷撃は止まない。何度も何度も、彼女の体を責め苛む。蘇媚の白い肌は次第に赤く染まり、汗と涙が混ざって滴り落ちる。
林淵はその光景を静かに見つめていた。彼の目は冷徹で、無関心のような表情を保っている。しかし、心のどこかで――彼は気づいていた。この女の苦痛に、なぜか自分は惹かれていると。
やがて雷撃が収まり、蘇媚はぐったりと鎖にぶら下がった。息は荒く、身体は微かに震えている。彼女はゆっくりと顔を上げ、林淵を睨みつけた。
「…見て楽しんだ?」
声にはまだ若干の震えが残っていたが、その端々に憎悪の色が混じっている。林淵は微かに口元を歪めた。
「面白いものを見せてもらったよ」
「くそ…」
蘇媚は唇を噛みしめ、視線を逸らした。だがその目は、暗い中で獲物を狙う獣のようでもあった。彼女は諦めてはいない。どんな手を使っても、この男を利用してやろうと決意していた。
林淵は歩み寄り、陣眼に刻まれた符文を調べ始めた。確かにこれは強力な封印だ。しかし、長い年月と蘇媚の抵抗により、ところどころに亀裂が入っている。修復しようにも、彼の力量では難しい。
「おい、男」
蘇媚が声を掛ける。今度は甘えるでもなく、怒るでもなく、どこか諦めにも似た口調だった。
「ここに来たってことは、何か目的があるんだろ? 霊薬か? 宝物か? それとも…」
彼女は一息つき、林淵を見上げた。
「私を封印した者の秘密を知りたいのか?」
林淵の手が止まる。確かにそれは気になる話だった。ここまで強力な封印を施した者ならば、計り知れないほどの知識と力を持っているはずだ。
「続けろ」
「ふん…やっと興味を持った?」
蘇媚は体勢を整え、痛む身体を無理やり動かしながら話し始める。
「私を閉じ込めたのは、とある大物道士よ。彼の名は…確か、太史真人。あんた、知ってる?」
林淵は眉を上げた。太史真人と言えば、千年前に天剣宗の創始者を助けたといわれる伝説の道士ではないか。そんな人物が、この女を封印した?
「彼の遺した典籍には、天地を統べる秘術が記されている。私はそれを見てしまった。だから消されようとしたのよ」
蘇媚の声が優しく揺れる。
「あなたがあの典籍を手に入れれば、どんな願いも叶うわ。力も、富も、名声も――」
「では、なぜお前はその秘術を使わなかった」
林淵の鋭い問いに、蘇媚は笑った。それは苦く、そして狡猾な笑みだった。
「使おうとしたさ。でも、彼の方が一枚上手だったってわけ。封印される前に、僕の力を奪い、あの典籍は誰も手に届かない場所に隠した…」
彼女の目が林淵を真っ直ぐに見つめる。
「あなたには分かる? ここに幾千年も縛られ、ただ死を待つだけの女の気持ちが?」
林淵は答えなかった。代わりに、彼女の鎖に触れる。冷たい金属の感触が指に伝わる。その先に繋がれた蘇媚の肉体を思い浮かべると、彼の口元にほのかな笑みが浮かんだ。
「面白い話だな」
「なら、取引をしない?」
蘇媚はそっと囁いた。その声は再び甘く、蠱惑的だった。
「私をこの鎖から解き放ってくれたら、太史真人の秘密を教えてあげる。あの典籍のある場所も、ね」
一瞬、沈黙が流れた。林淵は考え込むように蘇媚を見つめる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「その話、乗った」
蘇媚の瞳に一瞬の喜びが走る。だが、林淵の次の言葉でその表情は凍りついた。
「ただし――条件がある」
「条件?」
「お前を完全に解放する前に、俺はお前に契約を結ばせる。俺がお前の主となり、お前は俺の奴隷となる。もし裏切れば、その魂は永遠に苦しみ続ける」
蘇媚の顔色が変わった。彼女は声を震わせて言い返す。
「な…何を言ってるの? そんな契約、呑めるわけ…」
「お前は自由が欲しいのだろう」
林淵は淡々と言った。
「あるいは、永遠にここで縛られ続けるか。選べ」
蘇媚は唇を噛みしめた。瞼の裏で激しい葛藤が渦巻いている。この数千年、耐え抜いてきた苦痛。自由への渇望。そして、今ここに現れた男への憎悪と侮蔑。
だが、彼女には時間がなかった。陣眼が再び光を帯び始めている。次に来る罰は、今よりもさらに苛烈だろう。
「…分かった」
蘇媚は絞り出すように言った。
「あなたの契約、受けるわ」
林淵は満足そうに頷くと、指先に霊力を集め、空中に契約の符文を描き始めた。金色の光が文字を刻む。それは二人の運命を繋ぐ、血よりも重い約束だった。
蘇媚はそれを見つめながら、心の中で呟いた。
(契約なんて、飾りに過ぎない。いつか必ず…あんたを裏切ってやる)
その思いを胸に、彼女は契約の光を受け入れた。
地下空間に、新しい時代の幕開けを告げるかのように、微かな衝撃が走った。