# 初めての鏡像島
専用クルーザーが鏡像島のプライベート埠頭に横付けされたのは、午後三時を過ぎた頃だった。莫雨は白い麻のスーツを着て、甲板から島の風景を見渡した。椰子の木々が風に揺れ、透き通るような海が白い砂浜を洗っている。一見すると、ここはただのリゾート地にしか見えなかった。
「莫雨博士、ようこそいらっしゃいました。」
迎えに出たのは島の運営責任者である林管理官だった。脂ぎった笑顔を浮かべた五十代の男だ。彼は深々と頭を下げ、慇懃な態度で手を差し伸べた。
「ご招待いただき光栄です、林管理官。あなたの島で、私が開発した『服従制御システム』がどのように運用されているのか、自分の目で確かめたくて。」
莫雨は微笑みを浮かべたが、その瞳には一切の感情が読めなかった。前世、彼女は男だった。今はこの若く美しい女科学者の身体に魂を宿している。与えられた権力と地位。しかし、そのすべてが彼女に満足をもたらしているわけではなかった。
「ご案内いたします。貴賓用の別荘は南側の高台にございます。そこから島全体が見渡せます。」
「いえ、研究目的で参りましたので、実験エリアの近くに滞在したいのですが。」
莫雨の声は涼やかだった。彼女は林管理官の驚いた表情を無視して、さらに言葉を続けた。
「統計データでは、被制御者たちの居住エリアに職員用の宿泊施設があると聞いています。そこを使わせていただきます。」
「しかし、あのような場所は…博士のような高貴なお方にはあまりにも粗末でございます。」
「構いません。これも研究の一環ですので。」
林管理官は二の句を継げず、結局は莫雨の意向に従った。島の奥へと続く舗装された道を、一棟の簡素な三階建ての建物へと車は進んだ。
部屋は質素だった。ベッドと机、小さなクローゼットがあるだけ。しかし莫雨にとっては十分だった。彼女は窓を開け、夕方の潮風を部屋に招き入れた。遠くから、かすかに女たちの泣き声や鞭の音が聞こえてくる。それは彼女の鼓動を速めた。
「さあ、散歩に出かけましょう。」
莫雨はスーツを脱ぎ、薄手のシャツに着替えた。島の職員たちは彼女を貴賓だと知っている。しかし女奴隷たちは違う。彼女はその誤解を利用しようと考えた。
夕暮れの浜辺を歩きながら、莫雨はシステムの端末を操作した。首輪に埋め込まれた制御装置のデータが、彼女の指先一つで表示される。すべての女奴隷の位置情報、生体反応、服従度。それらは数字として、彼女の手の中にあった。
「あなた!新入り?」
後ろから掛けられた声に、莫雨は振り返った。そこには一組の女奴隷がいた。全員が同じ薄汚れたワンピースを着て、首には銀色の制御首輪を嵌められている。その中で、一人だけが他の者とは違う鋭い目をしていた。痩せ細った身体だが、その瞳には未だに闘志の名残があった。彼女が小薇だった。
「あ…はい。」
莫雨は一瞬戸惑ったが、すぐに状況を理解した。自分の服装があまりにも簡素だったため、彼女は新しく連れてこられた女奴隷と勘違いされているのだ。この誤解は面白い。彼女はわざとおどおどした様子を演じた。
「バカ!夕方にうろつくなんて、巡回員に見つかったらどうするんだ!」
小薇は慌てて莫雨の腕を掴み、茂みの中に引きずり込んだ。他の女奴隷たちも警戒しながら周囲を見張っている。
「ありがとう…でも、どうしてあなたたちはこんな時間に外に?」
「掃除当番だったんだよ。でも、それはいい。お前、島のルールを教わってないのか?」
小薇は眉をひそめ、莫雨の顔をじっと見つめた。その目は疑いに満ちていたが、それ以上に強い哀れみの色が浮かんでいた。
「三日前に連れてこられたばかりで…まだ何も。」
莫雨は嘘を重ねた。その声は自分でも驚くほど自然だった。
「ちっ…あの人身売買業者め、説明もなしに捨てていきやがったな。」
小薇は舌打ちをし、それから小声で早口に説明を始めた。
「いいか、まず一つ。首輪を絶対に外そうとするな。爆発する。二つ。門の近くに行くな。感知センサーが作動して、電気ショックが走る。三つ。男たちの目を見るな。見たら気に入られる。お前みたいな綺麗な顔じゃ、間違いなくすぐに買われるぞ。」
「買われる…?」
「ああ、この島はな、女を調教して金持ちのペットとして売る場所だ。俺たちは商品なんだよ。だから、できるだけ目立つな。地味にしていれば、買い手がつくまで時間が稼げる。」
小薇の声には諦めと共に、どこか親身な温かさがあった。彼女自身も絶望の中にいるのに、他人を助けようとするその強さに、莫雨の心臓が高鳴った。
「ありがとうございます。お名前は?」
「小薇だ。お前は?」
「…莫と言います。」
「莫か。良い名前だ。気をつけろよ。特に夜の見回りは厳しい。もし見つかったら、『お仕置き部屋』に連れて行かれる。あそこに入った者は、二度と元の心を持ち帰れない。」
小薇の顔が一瞬曇った。彼女は何かを思い出しているようだった。自分の身に起こった恐ろしい記憶を。
「小薇、もう行かなきゃ。見回りが来る。」
他の女奴隷の一人が急かした。小薇は頷き、最後に莫雨の肩をポンと叩いた。
「生きろよ。どんな形でも、生きてりゃチャンスはある。」
そう言い残して、彼女たちは闇に消えた。
莫雨は一人、茂みの中に立ち尽くしていた。胸の奥で何かが激しく震えている。それは恐怖でもあり、興奮でもあった。彼女は自分の頬が熱くなっているのを感じた。
「面白い…」
彼女は呟いた。科学者として、服従制御システムの開発者として、データだけで被制御者を理解していたつもりだった。しかし、小薇のような女たちがいる。諦めず、システムを利用しながら生き抜こうとする者たち。その強かさに、莫雨は心を奪われた。
「彼女の中には何があるんだろう。あの強さの源は…」
ふと、莫雨の頭に一つの考えが浮かんだ。最高権限者として、彼女は島のすべてのデータを書き換えられる。女奴隷の記録も、存在そのものも。ならば、自分も一人の女奴隷として島に溶け込めるのではないか?
「仮想の身分を作る。最下層の女奴隷として、彼女たちの生活を肌で感じる。そして、彼女を…小薇をもっと知るんだ。」
理性は警告していた。それは危険な遊びだと。しかし莫雨の欲望はその理性を押し潰した。支配されることへの憧れ、新しい自分を見つける冒険心。それらが一つになって、彼女の決断を後押しした。
「よし、決めた。」
彼女はポケットから携帯端末を取り出し、管理者権限でシステムにアクセスした。数回のタップで、新しい奴隷「莫雨、二十三歳、身長百六十八センチ、体重五十二キロ」というデータが登録された。本物の莫雨博士の記録は一時的に凍結される。島の職員たちは、貴賓の莫雨博士が突然の体調不良で部屋に籠もったと伝えられる。
すべての準備が整った。これから、彼女はただの莫として、この島の現実を生きる。小薇たちと同じ、首輪を嵌められた女奴隷として。
夜の風が強くなり、遠くから抑えきれない悲鳴が聞こえてきた。莫雨はその声に耳を澄ませながら、自分の首に手を当てた。そこにはまだ何もないが、明日にはきっと銀色の輪っかが嵌められているだろう。
「支配されるということ…それがどんな感覚か、この身で確かめてみたい。」
彼女の唇の端が微かに上がった。それは、危険な遊びに手を染めた者の笑みだった。