# 第一章: 秘密の契約
午前一時を過ぎた頃、林宇は一人で薄暗い部屋のパソコンの前に座っていた。画面の冷たい光だけが彼のやつれた顔を照らしている。彼の指はマウスの上で震えていたが、決意したようにクリックを繰り返していた。
彼が今見ているのは、通常の検索エンジンでは決して辿り着けない領域——ダークウェブと呼ばれる闇のネットワークだった。ここではあらゆる情報が暗号化され、匿名性に守られて取引されている。違法なものも含めて、だ。
「まただ…」
林宇は歯を食いしばり、過去の記憶を振り払おうとした。張彤のあの顔が浮かぶ——ベッドの上で、彼女が泣きそうに唇を噛みながら「大丈夫、疲れてるだけだから」と言ったあの表情。彼女はいつもそうだった。彼を傷つけないように、自分の欲求を押し殺し、我慢する。それが彼には耐え難かった。
彼女が一度もイったことがないことを、林宇は知っていた。それは彼の男としての自尊心を深く傷つけていた。遠距離恋愛になってからはなおさらだ。会えるのは月に一度か二度。その限られた時間ですら、彼は彼女を満たせなかった。
「俺は…どうすればいいんだ?」
画面がぼやける。彼は拳で目をこすった。
そんな時だった。ひときわ目を引く広告が表示されたのだ。黒人の男性——いや、正確には肌の色ではなく、その目の深さと怪しい光を放つ男の写真だった。その下には簡潔な文字。
**「催眠であなたの人生を変えませんか? 潜在意識へのアクセス、記憶の植え付け、欲望の解放。秘密厳守。」**
林宇の心臓がドキリと跳ねた。手が止まる。彼はその広告を凝視した。
「催眠…」
彼は思わず声に出していた。誰もいない部屋で、その言葉は虚ろに響いた。画面をスクロールし、さらに詳細を読む。
**催眠療法であなたのパートナーを理想の姿に。性的不能を克服。人間関係の悩みを解決。すべてはあなたの望むままに。**
性的不能——その言葉が林宇の目に留まる。胸が締め付けられるような痛みが走った。彼は自分が不能だとは思いたくなかった。ただ、経験不足と緊張と、そして何より彼女を喜ばせたいという焦りがすべてを台無しにしていた。
「もし…もし本当にできるなら…」
彼はその催眠術師に連絡を取ることを決意した。匿名のチャットアプリを立ち上げ、掲載されていたIDを入力する。すぐに応答があった。
**「こんばんは。何かお困りですか?」**
相手の名前は「Kevin」と表示されている。プロフィール画像は先ほどの広告と同じ黒人男性のものだった。林宇は震える指でタイプを始めた。
**「あなたの催眠療法について詳しく知りたいです」**
**「もちろんです。まず、あなたの状況を教えてください。どんな問題を解決したいのですか?」**
林宇は一瞬ためらったが、すべてを打ち明けることにした。張彤のこと。遠距離恋愛のこと。彼女が一度も満足していないこと。自分の無力感と劣等感。そして…彼女を変えたいという歪んだ願望。
送信ボタンを押した後、彼は自分の手が震えているのに気づいた。冷汗が背中を伝う。
**「なるほど。よくわかりました。あなたの悩みはよくあるケースです。安心してください。私は多くのカップルを救ってきました。」**
**「具体的にはどうするんですか?」**
**「簡単です。あなたの彼女に、瞑想アプリを装った催眠ソフトをダウンロードさせてください。私がリモートで催眠をかけることが可能です。あなたが直接彼女に何かをする必要はありません。すべて私が責任を持ちます。」**
林宇は画面を見つめたまま固まった。瞑想アプリ? そんなもので本当に催眠ができるのか? しかし、ケビンは続けて説明してきた。
**「このソフトには特殊な音波と、巧妙に隠された催眠誘導文が組み込まれています。彼女が毎日数分間使うだけで、徐々に潜在意識が開かれていきます。最終的には、あなたの望む通りの反応を示すようになるでしょう。」**
**「そんなことが本当に…」**
**「試してみなければわからないでしょう? ですが、もし効果がなければ全額返金いたします。最初の一週間は無料で提供します。リスクは何もありません。」**
林宇の指が震えた。彼は思わず携帯電話を手に取り、張彤との最後の通話記録を見た。三日前のことだ。彼女はいつも通り優しかった。「元気にしてる? 次に会うのが楽しみだよ」そう言って笑った彼女の声が耳に残っている。
あの無邪気な笑顔を裏切ることになるのか?
「でも、彼女のためだ…」
林宇はそう自分に言い聞かせた。彼女がもっと幸せになるため。彼女の本当の欲望を解放するため。自分が満たせない部分を、この催眠術師が補ってくれる。そう考えることで罪悪感を麻痺させた。
**「わかりました。お願いします。」**
彼はその言葉を送信した。すぐにケビンから詳細な指示が届く。ダウンロードリンク、偽装用のアプリアイコン、説明文のサンプル——すべて用意されていた。
**「アプリの名前は『心のやすらぎ』です。この説明文を彼女に送ってください:『ストレス解消と睡眠改善のための瞑想アプリ。友達に勧められて使っている。とても効果があるから試してみて』」**
林宇はその文をコピーし、何度も読み返した。嘘をつくことへの嫌悪感と、期待が入り混じる。彼は張彤に電話をかけた。深夜二時近くだったが、彼女はすぐに出た。
「もしもし? 林宇? どうしたの、こんな遅くに?」
その優しい声が、林宇の心を抉る。彼は緊張で喉が渇いていた。
「ああ、ごめん、起こした? ちょっと思い出したんだけどさ…」
「ううん、大丈夫。まだ起きてたよ。レポート書いてたから」
「そうか。えっと、最近いいアプリを見つけたんだ。瞑想のアプリなんだけど、すごくリラックスできるんだよ。俺も使い始めて、睡眠の質が上がった気がする。よかったら張彤も試してみない?」
電話の向こうで、張彤が少し驚いたような笑い声をあげた。
「林宇がそんなこと勧めてくるなんて珍しいね。どんなアプリ?」
「『心のやすらぎ』って言うんだ。…本当におすすめだから。今リンクを送るよ。インストールしてみてくれる?」
「うん、わかった。ありがとう。気遣ってくれて嬉しいよ」
その言葉に、林宇の胸は張り裂けそうになった。彼女は何も疑っていない。純粋に彼の提案を受け入れている。その無垢さが、彼の罪悪感をさらに強くする。
「じゃあ、また今度話そう。おやすみ、張彤」
「うん、おやすみ。愛してるよ」
通話が切れた後も、林宇はしばらくスマホを握りしめたまま動けなかった。「愛してる」という言葉が、針のように心に刺さる。
彼は指示通り、アプリのダウンロードリンクと説明文を送信した。数分後、張彤から「インストールしたよ! 明日から使ってみるね」というメッセージが届く。
林宇はそれを見ると、すぐにケビンに知らせた。
**「彼女がアプリをインストールしました。」**
**「素晴らしい。では明日からフェーズ1を開始します。彼女がアプリを開くたびに、私のプログラムが作動します。最初はただのリラックス音楽のように感じるでしょう。しかし徐々に…変化が現れます。」**
ケビンの返信には、不気味な笑みを浮かべたスタンプが添えられていた。林宇はそれを見て、背筋が寒くなるのを感じた。
「これで本当にいいのか…」
彼は自問した。しかし、もう引き返せない。彼は画面の前で両手を組むと、深く息を吐いた。部屋の時計が午前二時半を指している。
翌朝、張彤からまたメッセージが届いた。
**「あのアプリ、すごくいいね! 昨日はすぐに眠れたよ。久しぶりに熟睡できた気がする。ありがとう、林宇!」**
林宇はそのメッセージを見て、嬉しさと同時に得体の知れない恐怖を感じた。彼はただ「よかった。続けてみてね」とだけ返信した。
その日から、彼の人生はゆっくりと、しかし確実に闇へと引きずり込まれていくのだった。
ケビンからは毎日簡単な報告が届く。
**「フェーズ1完了。彼女の抵抗レベルは低い。順調です。」**
**「フェーズ2に移行。特定の言葉に対する反応を強化しています。」**
**「今夜から彼女の夢に働きかけます。数週間後には、あなたの望む反応が見られるでしょう。」**
林宇はそれらのメッセージを読むたび、手が震えた。彼は何度もケビンに「彼女に害はないのか」と尋ねた。そのたびにケビンは「ご安心ください。すべて彼女の潜在意識を解放するためです」と優しく答えた。
しかし、林宇の心の中では、疑念と罪悪感が日に日に大きくなっていた。
その週末、張彤とビデオ通話をした。彼女の顔を見ると、なぜか以前よりも艶やかに見えた。目がどこか遠くを見ているようで、しかし同時に彼を射抜くような力を持っていた。
「最近なんか、夢をよく見るんだよね。すごく鮮明で…でも起きると内容は覚えてないんだ」
張彤がそう言って笑った。その笑顔に、林宇は一瞬、見知らぬ女性を見ているような錯覚を覚えた。
「そう…どんな夢?」
「うーん、なんか暗い部屋にいるの。それで誰かが私の名前を呼んでるんだけど、その声がすごく心地よくて。目を覚ましたくないなって思うくらい」
「誰の声なんだろうな」
「わからない。でも、すごく安心するの。まるで何もかも忘れて、その声に身を委ねたくなる感じ…」
彼女がそう言ったとき、林宇のスマホにメッセージが届いた。ケビンからだった。
**「彼女の潜在意識は順調に開いています。次の段階として、あなたが彼女に特定の指示を出せるようにします。準備はいいですか?」**
林宇は張彤との通話を続けながら、そのメッセージを読んだ。彼女の笑顔が画面の中で揺れる。その無邪気な表情の裏で、何かが確実に変わっていっている。
「どうしたの? 顔色が悪いよ」
張彤が心配そうに尋ねる。林宇は無理に笑顔を作った。
「なんでもないよ。ちょっと疲れてただけ」
彼はそう答えながら、スマホの画面に目を落とした。そして震える指で、ケビンに返信を打ち始めた。
**「準備はできています。次の段階に進んでください。」**
その瞬間、彼は自分がもう後戻りできない場所に立っていることを悟った。張彤を変えるために始めたこの計画が、いつの間にか彼自身を変えてしまっていた。
夜の闇が、彼らの運命を静かに飲み込んでいく。秘密の契約は、もう取り消せない。
林宇はパソコンの電源を切ると、暗闇の中で一人、これから起きることに思いを馳せた。彼の心は、期待と不安と罪悪感で張り裂けそうだった。
しかし、もう止まれない。
彼はそう自覚しながら、張彤の幸せを願う自分と、彼女を支配したい自分が、心の中で激しく争っているのを感じていた。