# 第一章 小世界偶遇
その小世界は、大千世界の片隅にひっそりと浮かぶ低級位面だった。霊気は薄く、修行に適しているとは言い難い。せいぜい筑基期から金丹期の修士が潜み、天材地宝を探し求める程度の場所だ。
凌霄は白い袍を風に揺らしながら、荒れ果てた山道を歩いていた。大乗期の仙尊たる彼がこのような辺鄙な小世界に足を踏み入れるなど、周囲の者たちには理解できないだろう。彼の門下の弟子たちは、師尊が俗世の塵を避けて清修に励んでいると信じている。
しかし、真実は異なる。
凌霄は目を伏せ、長い睫毛が淡い影を落とす。清冽な瞳の奥で、抑えきれぬ熱が蠢いていた。彼は知っている——この小世界の片隅に、淫魔殿が跋扈している領域があることを。そして、その主である魔无极は、渡劫期の大魔修であることを。
「……なぜ、俺の心はこんなにもざわつくのか」
彼は自嘲するかのように唇の端を持ち上げた。他人から見れば、それは高嶺の花がふと見せた優雅な微笑みに映るだろう。しかし凌霄自身は、その笑みの裏に潜む倒錯した欲望をよく知っている。
大乗期の仙尊として、彼は全てを手に入れた。無上の力、数え切れぬ崇拝、永遠に近い寿命。だが、それらは彼の心の奥底に巣食う空虚を埋めることはできない。彼が本当に欲するのは——強い者に踏み躙られ、辱められ、支配されることだ。魔修の手で、衣を剥がされ、無数の淫欲の標的となること。それが彼の魂の本当の安息だと、凌霄は確信している。
山道を進むうち、前方から争うような物音が聞こえてきた。凌霄は足を止め、聴覚を鋭くする。
「放せ!これは俺が先に見つけたんだ!」
「ふん、弱い者が何を言う。お前のような雑魚に、この秘宝は勿体ない」
乱暴な声と、鈍い打撃音。そして、断末魔のような悲鳴。
凌霄は無意識のうちに、その音の方へと歩を進めていた。心臓が早鐘を打つ。彼は期待していた。自分を辱めてくれるような、強くて暴虐な存在に出会えることを。
木々の隙間から、凌霄はその光景を覗き見た。
三人の若い修士が地面に倒れ、一人の男に蹂躙されていた。男は漆黒の長袍をまとい、顔中に派手な刺青を彫っていた。その手には、まだ血の滴る鞭が握られている。男の周囲には、奪い取られた法宝や霊石が散乱していた。
「どうした、もう終わりか?つまらん」
男——魔辰は、倒れた修士の一人の髪を掴み上げ、無理やり顔を上げさせた。
「お、お願いだ……命だけは……」
「命?俺様が望めば、お前の魂すらも消し飛ばしてやれるぞ」
魔辰はケラケラと笑い、腰に下げた記録玉を取り出した。その玉に霊力を込めると、球体が淡い光を放ち始める。
「さあ、よく泣け。後で見返して楽しむんだ」
彼は倒れた修士たちの服を引き裂き、辱めの言葉を浴びせながら、その様子を余すところなく記録していく。鏡花水月の術で、映像は鮮明に玉の中に刻まれた。
凌霄はその一部始終を、木陰から静かに見つめていた。
彼の顔は相変わらず無表情だった。しかし内面では、波紋のように広がる感情があった。嫌悪ではない。むしろ——憧れだった。あのように裸の暴力で他者を支配する者に、自分もまた支配されたい。あの鞭で打たれたい。あの記録玉に、自分の恥辱の姿を永遠に刻み込まれたい。
凌霄の指先がわずかに震えた。彼は自分の頬がほんのりと熱を帯びるのを感じた。
「くっ……」
彼は自らの異常性を自覚しながらも、その衝動を抑えきれない。大乗期の仙尊としての理性と、根深い願望とが激しく葛藤する。
やがて魔辰が飽きたのか、倒れた修士たちを置き去りにして去っていった。凌霄はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて意を決して、近くの町へと向かった。
町は小世界の中では比較的賑わっており、様々な位面から来た修士たちが行き交っていた。凌霄は目立たないように霊気を抑え、金丹期程度の修士を装う。
彼は酒場に入り、隅の席に座った。やがて隣のテーブルで、先ほどの襲撃事件について話す声が聞こえてきた。
「聞いたか?また魔辰のやつが暴れていたらしい」
「あの淫魔殿の若様か。まったく、勘弁してほしいものだ」
「父親の魔无极殿主が渡劫期だからな。誰も逆らえん」
凌霄は背を向けたまま、耳をそば立てる。
「淫魔殿……魔无极……」
「そうだ。あの淫魔殿は、捕らえた修士をいたぶることで有名だ。特に高嶺の花と言われる仙女や、高慢な男修を堕とすのが趣味だと聞く」
「この辺りの小世界のほとんどは、淫魔殿の支配下にあると言っても過言ではない。我々のような低級修士は、見つからないように祈るしかない」
凌霄の心臓が高鳴った。
淫魔殿——まさに彼が求めていた場所だ。高嶺の花を堕とすのが趣味だという。ならば、自分こそがその格好の標的となるだろう。大乗期の仙尊である自分が、あの魔修たちの前に跪き、服従の証を刻まれる——その想像だけで、凌霄の身体は甘い痺れに包まれた。
彼はそっと酒杯を傾け、口元を歪めた。
「魔辰……魔无极……」
その名を呟く声には、微かな期待と愉悦が混じっていた。
凌霄は酒代を置き、席を立った。外に出ると、夕暮れの空が赤く染まっていた。彼は淫魔殿の本殿があるという方向を見据え、ゆっくりと歩き出した。
高嶺の花は、自ら堕ちに行くのだ。