# 第一章:突然死と新生
林逸の目は、画面に釘付けになっていた。
二十四時間ぶりの食事は、机の上のカップ麺の残りカスだけ。まばたきさえ惜しむように、彼は夢中でマウスをクリックし続けていた。画面の中では、美少女キャラクターが恥ずかしそうに頬を赤らめ、制服のスカートの裾を指で弄っている。
「あと少し、あと少しでフルコンプリートだ…」
声は掠れていた。三日前から風邪気味だったが、ゲームのイベント期間が迫っていたため、休むわけにはいかなかった。頭痛はするし、目は霞むが、それでも彼の指は止まらない。
「『星空の約束』、攻略対象はあと一人…」
時計の針は午前二時を回っていた。部屋にはエアコンがなく、真夏の熱気がこもっていた。汗が額から滴り落ち、キーボードの隙間に染み込んでいく。
だが、その時だった。
突然、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚が走った。鈍い痛みが左腕に広がり、呼吸が苦しくなる。
「な、に…?」
マウスを握る手から力が抜けた。視界が歪み、画面の光がぼやけて溶けていく。椅子から滑り落ちるように、彼は床に崩れ落ちた。
痛みは急速に全身を支配していく。心臓が激しく脈打ち、次第にその鼓動が弱まっていくのが自分でもわかった。
(まさか、俺…)
最後に見たのは、天井のシミと、まだ明るいゲーム画面だった。ヒロインが微笑む立ち絵が、無情に彼を見下ろしていた。
(死ぬのか……こんな、あっけなく…)
意識が闇に飲み込まれていく。嫌な感じはしなかった。むしろ、全てから解放されるような、不思議な安堵感があった。
俺の人生って、結局なんだったんだろう。
それが、林逸の最後の思考だった。
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時は流れ、千年の歳月が経過した。
西暦三〇二四年。人類は、想像を絶する進化を遂げていた。医療技術は飛躍的に発展し、クローン技術や意識のデジタル化は日常のものとなっていた。だが、その進化は人類に新たな問題ももたらしていた。
特に、男性の性欲の著しい減退だった。
環境ホルモンの影響、遺伝子操作の副作用、あるいは脳の進化の過程で不要になった機能——原因は諸説あるが、事実として、二二世紀以降に生まれた男性のほとんどは、恋愛や性行為に対する関心を失っていた。精子の質も著しく低下し、自然妊娠率は限りなくゼロに近づいていた。
代わりに、女性の性欲は爆発的に増大した。生物としての生殖本能が、種の存続をかけて最後のあがきをしているかのように。
社会は歪んだ形でバランスを取っていた。人工子宮による繁殖が一般化し、恋愛は過去の遺物となりつつあった。だが、一部の人間は古い時代の価値観——『千年も前に存在した、男女の熱烈な愛情と欲望』——に強い興味と憧憬を抱いていた。
そして、その中でも特に濃厚な関心を持つグループがいた。
『寝取られ趣味』と呼ばれる性癖を持つ人間たちだ。彼ら、というよりは、その多くは女性だったが、配偶者が他の誰かに性的に支配される光景に強い興奮を覚える。未来世界の退屈な日常に飽き飽きしていた彼女たちは、より刺激的なエンターテインメントを求めていた。
そんな需要を満たすために生まれたのが、『トゥルーマン計画』だった。
「千年紀研究所、地下実験室」
「最後の確認だ。被験体の意識データは完全か?」
無機質な声が、クリーンルームに反響する。大型モニターの前で、白い研究服を着た男たちが端末を操作していた。
「はい、完全です。西暦二〇二四年六月十五日、午前二時十三分に記録された脳波データ。死亡と同時に、神経細胞の状態を完全にスキャンしました。保存状態は極めて良好です」
「この意識が、千年の時を経て目覚めるのか…。ロマンがあるな」
「ロマンですか? ただの娯楽のために、過去の人間を弄ぶだけですが」
「それがロマンなんだよ。古の人間は、こんな下らないことを真剣にやっていたんだ。恋愛だの、嫉妬だの、欲望だの——今では想像もつかないだろう?」
研究員たちは笑い合った。その笑い声には、どこか優越感と好奇心が混じっていた。
「それでは、プログラムを開始する。仮想環境の調整は?」
「完了しています。『システム』の設定も完了。被験体が違和感を覚えないよう、西暦二〇二〇年代の都市景観を完璧に再現しています」
「よし。視聴者陣は?」
「準備万端です。リアリティ番組『千年の欲望』、約二億人の契約者が視聴開始を待っています。特に中等収入階級の女性を中心に、高い期待が寄せられています」
「素晴らしい。配信を開始しよう」
研究員の一人が、赤いボタンを押した。
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眩しい光が、視界いっぱいに広がった。
「…んっ」
林逸は、ゆっくりと目を開けた。
見上げた先には、青い空が広がっていた。白い雲がゆっくりと流れ、柔らかな風が頬を撫でる。どこかから鳥のさえずりが聞こえてくる。
(俺、生きてる?)
体を起こそうとして、違和感に気づいた。体が妙に軽い。疲れも痛みもない。徹夜続きでガタが来ていたはずの体が、まるで新品のように軽快だった。
「ここは…」
周囲を見回す。彼がいたのは、見覚えのある街角だった。古びた電信柱、レンガ造りの建物、商店街の看板——間違いなく、彼が住んでいた街だった。
「なぜだ? 俺、確かにゲーム中に死んだはず…」
混乱しながらも、彼は立ち上がった。地面には、自分自身が映っている。が、そこに映っているのは、見覚えのある自分の顔だった。痩せ細り、目の下に隈があったあの頃の自分ではなく、健康そのものの顔色だった。
「まさか…異世界転生ってやつか?!」
彼の頭に、ゲームやアニメでよく見る定番のシチュエーションが浮かんだ。そうだ、これはチャンスだ。今度こそ、リアルで人生をやり直せるのだ。
「お、俺に能力とか、ないかな?」
そんなことを呟いた瞬間、彼の視界に奇妙な表示が浮かんだ。
「《親愛なるプレイヤー様、『システム』へようこそ》」
声ではない。直接脳内に響くような、不思議な感覚だった。
「うわっ、なんだこれ?!」
彼が驚いて目を見開くと、さらに表示が続いた。
「《本システムは、貴方に究極の力を与えます。異性を魅了し、支配し、調教する——太古の欲望を具現化する権能を》」
「ちょ、ちょっと待て! 俺、何このチート!?」
驚きと興奮が入り混じる。この『システム』は、どうやら自分だけがアクセスできるものらしい。未来の知識か、異世界の魔法か——理由はわからないが、とにかく強大な力だということは理解できた。
「どんな風に使えるんだろう…」
彼が考えを巡らせたその時、後ろから声がかけられた。
「逸くん?」
振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。
長い黒髪を風に揺らしながら、少し困ったような微笑みを浮かべている。清楚な白いワンピースに身を包んだ、高校の頃のクラスメイト——蘇晴だった。
「す、蘇晴さん?!」
彼の高校時代、密かに想いを寄せていた相手だ。あの時は話しかけることすらできず、遠くから眺めるだけだった。まさか、こんな形で再会するとは。
「どうしたの? 変な顔して。彼女に振られたの?」
からかうような口調だが、その目はどこか優しかった。彼の心臓が、高鳴り始める。
「いや、その…ちょっと、ぼーっとしてて」
なんとか言葉を絞り出した。この街も、この人物も、全てが自分が生きていた頃と何も変わっていないように見える。
(もしかして、これは…俺のための世界なのか? 『システム』が与えてくれた、新しい人生のチャンス…)
そんな考えが、彼の頭の中で膨らんでいく。
彼はまだ知らなかった。この世界の全てが、誰かによって仕組まれた壮大な舞台であることを。
そして、彼自身が、未来の人々の欲望を満たすための駒に過ぎないことを。
全ては、これから始まる『調教』の序幕に過ぎなかったのだ。