# 二面性の社長
高層ビルの最上階、全面ガラス張りの会議室に朝日が差し込む。長方形のテーブルを囲む十数人の幹部たちは、皆一様に緊張した面持ちで席についていた。
「第四四半期の売上目標は先月時点で八七%の達成率です。このままいけば——」
「足りない」
冷たい声が営業部長の報告を遮った。口を開いたのは、テーブルの先端に座る一人の女性——蘇雪児。二十八歳という若さでこのハイテク企業を率いる女社長だ。彼女は手にしたペンを軽く回しながら、鋭い視線で部屋を見渡した。
「目標は達成して当然。問題は、いかに上積みするかだ。来週までに新たな戦略を練り直せ。それまでに関連資料を全て揃えて私のデスクに置け。以上」
椅子を引く金属音が響く。蘇雪児は散会の合図もなしに立ち上がり、踵を返した。背筋の伸びたその後ろ姿を、誰もが息を呑んで見送るしかなかった。
秘書が慌ててドアを開ける。廊下を早足で歩きながら、蘇雪児はスマートフォンを確認した。新着メッセージは一通——林叔からだ。
《準備完了》
たった三文字のそのメッセージに、彼女の唇の端がわずかに釣り上がった。その表情は会議室での冷酷な社長のそれとは全く異なる、しかしどこか似通った冷たさを帯びていた。
午後十一時。社員が全員退社した後のビルは、不気味な静けさに包まれていた。しかし蘇雪児はまだ自席にいた。彼女は立ち上がると、書棚の影に隠された壁の一部に手を触れた。指紋認証が作動し、音もなく壁が後退する。現れたのは、エレベーターへの入り口だった。
地下三階へと降りるエレベーターの中で、蘇雪児はスーツの上着を脱ぎ、代わりに黒の簡素なジャケットに着替えた。髪も後ろで一つに束ねる。鏡に映る自分の姿を見つめ、彼女は深く息を吸い込んだ。
エレベーターのドアが開くと、そこは薄暗い小部屋だった。窓一つない空間の中央には、アンティーク調の大きな机が置かれている。そしてその前に立っていたのは、白髪の混じった初老の男——林叔だった。
「お待ちしておりました、お嬢様」
「待たせたな、林叔」
蘇雪児は迷わず机の前に座った。その上には、分厚い帳簿が何冊も積まれている。彼女は一冊を手に取り、ページを開いた。そこには漢字と数字がびっしりと書き込まれている——表向きの会社の決算書とは全く異なる、真の収支報告書だった。
「先月のオークションの結果は?」
「上々です。七体が予想を上回る価格で落札されました。特に若い女性二人は、それぞれ二千万と二千五百万で——」
「ふん」
蘇雪児は軽く鼻を鳴らした。彼女の指が帳簿の数字をなぞる。
「二千万か。もう少し値が付いても良かったな。来月はもう少し宣伝を強化しろ。特に、教育水準の高い奴隷は需要が高い。見せ方を変えれば、価格は三割増しになる」
「かしこまりました」
林叔は深く頭を下げた。蘇雪児は何冊かの帳簿に目を通し、すべての数字を暗算しながら、誤差がないか確認していく。その手つきは慣れたものだった。彼女はこの商売を父から継いで、もう五年になる。最初は嫌悪感もあった。しかし——今ではこの帳簿を見るたび、自分の力が確かにここにあることを実感する。
「お嬢様」
林叔が声をひそめた。
「先ほど、重要な連絡が入りました。明後日の夜、郊外の別邸で大規模な取引が行われるとのことです。今回は、中国全土から買い手が集まる大物です。組織としても、総力を挙げるよう指示がありました」
蘇雪児の顔から笑みが消えた。彼女は帳簿を閉じ、机の上に置いた。
「規模は?」
「過去最大級とお考えください。おそらく五十体以上の奴隷が一度に市場に出ます。主催は我々の上層部ですが、現場指揮はお嬢様に任せたいとのことです」
「なるほどな」
蘇雪児は背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。数秒の沈黙の後、彼女は静かに口を開いた。
「分かった。私が指揮を執る。林叔、準備を整えろ。万全の態勢で臨むぞ」
「承知しました」
林叔が一礼すると、蘇雪児は立ち上がった。彼女の目には、ビジネスウーマンとしての鋭さとは別種の、獲物を狩る捕食者のような光が宿っていた。
「明後日だな。楽しみにしておく」
彼女はそう言って、エレベーターへと歩いていった。その背中に、林叔はただ黙って頭を下げ続けていた。
翌朝、蘇雪児はいつも通り高層ビルの最上階にいた。スーツに身を包み、髪を完璧に整え、会議室で部門長たちに指示を飛ばす。昨日の夜の帳簿や、郊外の別邸での取引など、一切感じさせない涼しい顔で。
しかし、彼女のスマートフォンには、林叔から送られた詳細な計画書が保存されていた。それを見るたび、蘇雪児の心臓は微かに高鳴る——恐怖ではなく、期待に近い何かで。
夜、自宅のマンションに戻った蘇雪児は、バスルームで長めのシャワーを浴びた。鏡に映る自分の身体には、いくつかの古い傷跡が残っている。これはかつて、彼女自身がこの商売の一端を担うための訓練中に負ったものだ。父は言った——「奴隷を支配するには、まず自分が痛みを知らねばならない」と。
その言葉の意味を、蘇雪児は骨の髄まで理解していた。
彼女はバスローブを羽織り、窓辺に立った。眼下には、煌びやかなネオンの光が広がっている。表の顔と裏の顔——どちらも自分自身だ。どちらかを切り捨てるつもりはない。
「明後日、か」
蘇雪児はスマートフォンのカレンダーに目をやった。そこには《社外会議》とだけ記載されている。だが実際に彼女が向かう場所は——郊外の、誰も知らない別邸だ。
彼女はグラスを手に取り、赤ワインを一口含んだ。その味は、鉄のように苦かった。
翌々日、午後八時。蘇雪児は黒のリムジンに乗り込み、郊外へと向かった。運転手は林叔だ。後部座席で彼女は、黒い革のジャケットに着替え、髪を後ろで一つに結んでいた。腰には小さなホルスターが隠されており、そこには予備のスタンガンと小型の拳銃が収められている。
「お嬢様、到着まであと十分です」
「分かった」
蘇雪児は窓の外を見つめた。街の灯りが次第にまばらになり、やがて暗闇だけが残る。前方に、古びた洋館のような屋敷が現れた——蘇家の所有する、郊外の別邸だ。
車が門をくぐると、中庭には既に数台の高級車が停まっていた。買い手たちが既に到着している証拠だ。蘇雪児は深く息を吸い込み、車を降りた。
「お嬢様、お待ちしておりました」
待機していた使用人が頭を下げる。蘇雪児は顎をしゃくって応え、そのまま屋敷の中へと足を踏み入れた。
広間には、スーツ姿の男たちが数人、グラスを傾けながら談笑している。彼らは蘇雪児を見ると、一瞬で会話を止め、彼女に注目した。
「これはこれは、蘇家の若き女当主が自ら御出ましとはな」
一人の太った男が笑いながら近づいてきた。彼の指には、いくつものダイヤの指輪が光っている。
「ご機嫌よう、陳社長。本日はようこそお越しくださいました」
蘇雪児は笑顔を浮かべた。その笑顔は、ビジネスシーンでのものとは全く異なる——蠱惑的で、どこか危険な香りを漂わせていた。
「さあ、皆さま。本日のお品を、ご覧に入れましょう」
彼女は手を挙げると、使用人たちが広間の奥の扉を開けた。その先には、地下へと続く螺旋階段が暗闇の中に消えている。
蘇雪児は最初に階段を降り始めた。その後ろを、買い手たちが続く。彼女の心臓は、静かに高鳴っていた。
——これが、私の真の姿だ。
彼女は確かにそう思った。表の顔も裏の顔も、どちらも自分。ただ、今夜は——裏の顔を、存分に見せてやろうと決めていた。
地下の広間には、既に二十人以上の男女が鎖に繋がれて並べられていた。彼らの目には絶望の色が浮かんでいる。蘇雪児はその中を歩きながら、一人一人に目を向けていった。そして、ある若い女性の前に立ち止まる。
「この娘の目はいいな。まだ恐怖に怯えているが、そのうち慣れる」
彼女はそう言って、陳社長に向かって笑いかけた。
「値段は、三千万から。スタートです」
競りの声が、地下に響き渡った。蘇雪児は中央に立ち、全てを見渡しながら、自らの支配を確かなものにしていった。
この夜、彼女は社長であり、そして——奴隷商の後継者だった。二つの顔を持つ女は、今日もその両方を使って、自らの世界を築き上げていく。