# 二重の枷
## 第一章 逃亡と誤入
蘇家の屋敷は、表通りに面した立派な門構えを持ちながら、その裏手には決して人目に触れてはならない秘密が広がっていた。
蘇晴は幼い頃から知っていた。父が営む「群芳閣」が単なる高級仲介業ではないことを。表向きは、自ら売身を志願する女性たちに職を紹介する合法的な組織。しかし、その地下には、顧客の注文に応じて標的を特定し、拉致し、調教するための施設が存在していた。
「お嬢様、お急ぎください!」
管家の老陳が息を切らして書斎の扉を叩いた。その声には、普段の落ち着いた様子は微塵も残っていなかった。
蘇晴が立ち上がると同時に、屋敷の一階でガラスの割れる音が響いた。続いて、母の悲鳴。
「お父さん!お母さん!」
階段を駆け下りようとする蘇晴の腕を、老陳が強く掴んだ。
「いけません!仇家の者どもが十数人、既に屋敷に侵入しております!」
「でも、両親が——」
「旦那様と奥様は——」老陳の声が震えた。「お嬢様、生き残ることが何よりの弔いです。さあ、裏手の倉庫へ!」
老陳に引きずられるようにして、蘇晴は書斎の秘密の通路を抜けた。屋敷の裏手に広がる倉庫群。その中で、ひときわ異様な存在感を放つ密閉式の貨物トラックが一台、エンジンをかけた状態で待機していた。
「これは——」
「お客様への納品用の車両です。今のうちに——」
老陳は無言でトラックの荷台の扉を開けた。中には、五つの鉄製の檻が規則正しく並べられていた。そのうちの一つには、若い女が気を失った状態で鎖につながれていた。
「申し訳ございません、お嬢様。他に隠れる場所が——」
老陳は蘇晴を最も奥の空いた檻に押し込んだ。冷たい鉄格子が彼女の背中に触れる。
「しばらくここで息を潜めてください。このトラックは——」
その言葉を最後に、老陳は扉を閉めた。暗闇が蘇晴を包み込む。彼女が何か言おうとした瞬間、トラックが大きく揺れ、発進した。
数分後、銃声が数発、遠くで聞こえた。そして——二発目の銃声が、より近くで、より乾いた音を立てた。
蘇晴の指が檻の鉄格子に食い込んだ。老陳の最後の言葉が、頭の中で反芻される——「このトラックは——」何だったのだろう。
意識が遠のいていく。恐怖と疲労が、彼女の思考を飲み込んでいった。車輪の振動が、規則正しく彼女の意識を揺さぶる。やがて——すべてが闇に変わった。
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蘇晴が目を覚ました時、最初に感じたのは、全身を覆う鈍い痛みだった。次に——首輪の存在。冷たく、重い金属が、彼女の細い首に巻きついていた。
「新しい子か?」
女の声が頭上から降ってきた。蘇晴が顔を上げると、筋肉質な体格の女性が、無表情で彼女を見下ろしていた。灰色の制服を着て、腰には鞭を携えている。
「ここは——」
「奴隷島だ。お前は、今日からここで生きることになる」
蘇晴の思考が一瞬で覚醒した。奴隷島——それは「群芳閣」が最も秘匿してきた施設。表向きは存在しないことになっている、調教専用の孤島。自ら売身を志願した女性たちが、最終的に送られる場所。しかし——
「なぜ私がここに?私は蘇家の——」
「蘇家?」女が冷笑した。「蘇家なんて、もうとっくに潰れたよ。お前の両親は昨夜殺された。そして、お前はその遺産——いや、商品だ。客からの注文があって、わざわざ運ばせたんだ」
蘇晴の心臓が凍りついた。父が、母が——死んだ?そして、自分は「商品」としてここに?
「待ってください!私は蘇晴です!蘇家の一人娘——」
「それがどうした?」女は疲れたように首を振った。「ここでは、お前の過去は関係ない。ただの番号だ。覚えておけ——お前は今日から奴隷だ」
女は振り返り、檻の外にいる別の職員に向かって声を張り上げた。
「コードX-071、本日未明に到着。身元は蘇家の末娘だが、すでに商品として計上済み。調教プログラムは——」
「待って!」蘇晴は鉄格子にしがみついた。「私は命令できる立場の人間だ!父の仕事は知っている。私を——」
「黙れ」
鞭の先が、鉄格子を叩いた。乾いた音が、檻の中に反響する。
「お前の父の仕事?知っているだと?」女が笑った。「知っていて、なおかつ、お前はこの檻の中にいるんだぞ。それなら——お前にもわかっているはずだ。この島のルールが」
蘇晴の唇が震えた。父の仕事。奴隷の調教。顧客の注文に応じて、女性たちを——「志願」するまで——折檻し、精神を破壊し、服従させる。
そのルールを、今、自分が適用される側になるとは。
「——下級職員ども、この檻を倉庫へ運べ。明日から、基礎訓練を始める」
女がそう言い残して立ち去ると、数人の男たちが近づいてきた。彼らの目には、哀れみも、同情も、何もなかった。ただの作業——商品の移動。
「ちゃんとしとけよ。傷つけるんじゃねえぞ」
機械的な声。そして、蘇晴の檻が地面から持ち上げられた。
鉄格子の隙間から見えたのは、無機質なコンクリートの通路。蛍光灯の冷たい光。そして——他の檻の中にいる、無数の女たちの影。
彼女たちもまた、同じように「商品」としてここに運ばれてきたのだろう。
蘇晴は唇を噛みしめた。蘇家の真実を知る者として、自分を追い詰めたシステムの何たるかを知る者として——絶対にこのまま終わるわけにはいかない。いつか必ず、ここから抜け出し、復讐を果たす。
だが、その前に——この首輪を外さなければ。
車輪の音が、倉庫へと続く道を規則正しく刻んでいた。