蘇晴の家は表向き、蘇州の旧家として知られていた。代々続く古董商であり、その品揃えは江南一と謳われていた。しかし、一族の本当の財源は別にあった。蘇家は二つの顔を持っていた。一つは表通りに構えた「群芳閣」という名の妓楼——そこは合法的に売身を望む女たちを集め、芸事を仕込み、富裕層に貸し出していた。だが、それは氷山の一角に過ぎなかった。
蘇家の真の稼業は、地下に張り巡らされた性奴隷の捕獲と調教ネットワークだった。彼らは顧客の注文に応じて、特定の女を拉致し、徹底的に精神を破壊し、自ら売りに出るように仕向ける。表向きの「群芳閣」は、その洗浄済みの商品を流通させるための窓口に過ぎなかった。蘇晴は幼い頃からその二重構造を知っていた。父親は彼女に言い聞かせた。「これは商売だ。感情を入れるな」と。
だがその夜、すべてが崩れた。
蘇晴が自室で読書をしていると、庭先で鈍い音がした。最初は何かが落ちたのかと思った。だが続けて二発、三発と響くその音は、確かに「銃声」だった。彼女は立ち上がり、窓の隙間から覗いた。月明かりに照らされた中庭で、数人の黒服の男たちが両親を取り囲んでいた。父は胸を押さえて倒れ、母はその傍らで痙攗していた。
息が止まった。叫ぼうとしたが、声が出なかった。
その瞬間、玄関が蹴破られる音が聞こえた。彼女は反射的に部屋を飛び出し、裏階段を駆け下りた。裏庭にはいつも荷物を運ぶためのトラックが停めてある。それは奴隷輸送用の冷凍車で、外部からは中が透けて見えないようになっていた。蘇晴はトランクルームの鍵を開け、文字通り転がり込んだ。後ろ手に扉を閉め、暗闇の中で息を殺した。
数秒後、エンジンがかかった。誰かが運転席に飛び乗ったのだ。トラックは急発進し、彼女の体は荷台の壁に激しく打ちつけられた。頭を強打したのか、視界がぼやけ始めた。血の匂い、ガソリンの匂い、そして消毒用のアルコールの匂い。それらが混ざり合って、意識を遠のかせた。
「——起きろ」
声がした。冷たく、無機質な声だった。
蘇晴はゆっくりと目を開けた。天井が見えた。コンクリートの打ちっ放しで、剥き出しの蛍光灯が一本、不気味な白い光を放っている。体を起こそうとして、手首に違和感を覚えた。金属の冷たさ。手錠だ。両手は背中側で縛られ、足首にも革のベルトが巻かれていた。
「新入りか」
その声の主は、三十代半ばほどの女だった。短く刈り上げた金髪、引き締まった筋肉、目は鷹のように鋭い。軍服にも似た制服を着て、腰に鞭を携えていた。
蘇晴は必死に記憶をたどった。冷凍車、トラック、逃げ込んだ荷台、そして意識を失ったこと。まさか——。
「ここはどこですか?」声がかすれていた。
女——教官アリーは笑った。笑ったが、その目はまったく笑っていなかった。
「奴隷島だ。お前みたいな逃亡奴隷を調教するところだ」
「私は奴隷じゃない!」蘇晴は叫んだ。「蘇家の——」
「蘇家?」アリーは眉をひそめた。「蘇家は昨夜、仇家に皆殺しにされた。生き残りはお前一人だ。そしてお前は、我々のトラックに無断で乗り込んだ。それも奴隷輸送用のトラックにだ。つまりお前は、自ら売りに来たも同然だ」
蘇晴の脳裏に、父と母の最期の姿がフラッシュバックした。血まみれの中庭、倒れた二つの影。仇家——蘇家の長年の宿敵が、ついに動いたのだ。そして彼女は、家族が経営していた奴隷ネットワークの道具に紛れ込み、自ら檻の中に入ってしまった。
「誤解だ」彼女は声を振り絞った。「私は逃げるために隠れただけで、売られるために——」
「誤解も何もない」アリーは冷たく言い放った。「ここでは、お前の過去は一切意味を持たない。お前の身分はただ一つ——奴隷だ」
そう言うと、アリーは踵を返し、鉄の扉へと歩いていった。扉が閉まる直前に、彼女は振り返らずに言った。
「名前は? これから登録する」
蘇晴は唇を噛んだ。本名を名乗れば、仇家の耳に入るかもしれない。だが偽名を使えば、さらに疑われる。彼女は選択肢の狭さに絶望しながらも、あえて真実を隠すことを選んだ。
「——林雨。林雨と申します」
アリーは一瞬足を止めたが、何も言わずに扉を閉めた。鍵がかけられる音が、湿った空気に響いた。
蘇晴は薄暗い檻の中にひとり残された。冷たいコンクリートの床が背中に貼りつく。彼女は天井を見上げながら、これからの日々を思い描いた。表向きは名家の令嬢、裏では奴隷商人の娘。その二重の枷は、今やどちらの面も失い、ただ一つの身分——奴隷に落とされようとしていた。
「必ず脱出する」彼女は自分に言い聞かせた。「必ず——」
しかしその決意とは裏腹に、彼女の体は震えていた。両親の死、仇家の影、そしてこの島の規則。すべてが彼女の自由を奪うための網の目のように、絡み合っていた。
外では、波の音が聞こえた。奴隷島は海の真ん中に浮かぶ孤島だった。そこから逃げるための船も、連絡手段も、一歩間違えれば死を意味する。
蘇晴は目を閉じた。初めて、自分が本当の意味で「囚われた」ことを実感した。