長夜終わる
正邪の大戦が終わりを告げてから、既に長い歳月が流れていた。天を揺るがす激闘の末、数多の神々はその力を耗盡し、深い眠りについた。東方の守護神たる神娃たちもまた、その例外ではなかった。龍娃と鳳娃は、自らの神力の大半を捨て去り、残った力を人々の間に分け与えることを選んだ。彼らは神としての座を降り、凡人の身に宿ることで、この大地に新たな秩序が芽吹く礎を築いたのだ。
戦後、鳳娃は自ら進んで辺境の村に身を寄せ、そこで教師としての務めを果たしていた。彼女は幼き者たちに文字を教え、薬草の知識を授け、人と自然の調和について語り聞かせる。清らかな声で紡がれる言葉は子どもたちの心に深く刻まれ、村人たちは彼女を深く敬愛していた。
一方、龍娃は村の警護を担い、定期的に光明の力を用いて広大な大地を巡視した。彼の持つ聖なる光は闇を払い、魔性の気配を遠くからも嗅ぎ分ける。その巡視は決して欠かされることはなく、彼の存在が村に平和をもたらす象徴となっていた。
長い年月の中で、二人の心性は次第に凡人へと近づいていった。神力の残滓はなおも体内に宿るものの、感情の揺れや肉体の変化はもはや人間と変わらない。容貌もまた時代と共に成長し、龍娃は屈強で精悍な青年へと変貌した。広い肩に引き締まった体躯、鋭く澄んだ眼光は見る者に安心感を与える。鳳娃はしなやかで美しい立ち姿の娘へと育ち、その一挙手一投足には優雅さと知性が宿っていた。
鳳娃は密かに龍娃への恋心を抱いていた。
幼き日々を共に過ごし、神としての責務を共に背負った彼の存在は、彼女にとって特別だった。だが、役目を終えたとはいえ、彼らは元より神娃である。人として生きる今も、その根底にある神性は決して消え去らない。鳳娃は自分が抱く感情を「身分の違い」という言葉で封じ込め、胸の奥に秘め続けた。
龍娃もまた、鳳娃に対して人知れぬ想いを抱えていた。しかし彼は、自らのその感情を認めることを拒んだ。女神として崇められる存在であった彼女を、人間のような浅ましい欲で見てはならない。そう自分に言い聞かせながら、彼はいつも一歩距離を置いて彼女を見守っていた。
ある日の夜だった。
月明かりの下、村はずれの高台で龍娃は立ち尽くしていた。風が彼の黒髪を揺らし、遠くの山影にかすむ光が瞬く。その時、視界の端に異変が走った。
空が、裂けた。
一筋の黒い気をまとった光が、天を切り裂くようにして降り注いだ。それはまるで意志を持つかのように軌道を歪め、村からそう遠くない地中深くへと突き刺さった。衝撃はさほどのものではなかったが、龍娃の肌には明確な違和感が走った。
あれは、ただの隕石ではない。
彼はすぐさまその場を駆け出した。大地を蹴るたびに、彼の体内に眠る神力が微かに反応する。嫌な予感が胸をよぎる。あれから放たれる気配は、かつて戦った闇の力に酷似していた。
翌朝、村人たちの間でも昨夜の隕石落下の話題で持ちきりだった。龍娃は鳳娃にそのことを報告するため、学校へと足を運んだ。教室の片隅で本を読んでいた鳳娃は、彼の真剣な表情を見てすぐに事の重要性を察した。
「昨夜、何かが落ちた。俺はあれを確かめに行く。」
「私も行くわ。」
鳳娃は即座に答えた。龍娃は一瞬ためらったが、彼女の決意の籠もった瞳を見て頷いた。
二人は共に村を出て、隕石の落下地点へと向かった。しばらく歩くと、地面に異様な窪みが現れた。周囲の草は枯れ、土は焼け焦げて黒く変色している。窪みの中心には、人の頭ほどの大きさの透明な石が埋まっていた。その内部には黒い気が渦巻き、まるで生き物のように蠢いている。
「これは……異世界の魔力と、残存する闇の力が融合したものだ。」
龍娃は警戒しながら石に近づく。手を伸ばそうとした瞬間、石が脈動した。黒い気が一気に膨れ上がり、周囲に瘴気のごとき暗い波動を撒き散らす。
鳳娃が悲鳴を上げる間もなく、龍娃は咄嗟に彼女を背後に庇った。そして自らの光明の力を解放し、その波動を打ち消そうとする。しかし、その力は石に吸い込まれるようにして消え去った。
「くっ……これほどの力か。」
龍娃の額に汗が浮かぶ。彼の体内に残る神力は、全盛期に比べればはるかに減じている。それでも、この石を野放しにするわけにはいかない。彼は決意を固め、再度力を集中させた。
その時、石は静かに沈み、再び動きを止めた。黒い気は内側に収まり、一見するとただの透明な岩石に見える。
しかし、二人には分かっていた。これは始まりに過ぎない。
やがて訪れる闇の気配を胸に、龍娃と鳳娃は互いに目を合わせた。言葉を交わさずとも、その覚悟は通じ合っていた。
長く続いた平和の夜が、終わりを告げようとしていた。