連邦首都星の宇宙港に降り立った瞬間、劉悦はその空気の違いに顔をしかめた。帝国の宮殿に漂っていた重厚な香料の香りはなく、代わりに金属と油の混ざった無機質な匂いが鼻腔を刺激する。彼女の一歩後ろに控える史妮も、無言のまま周囲を警戒するように見渡した。
連邦側の迎えの男たちは無愛想だった。彼らは一言の挨拶もなく、二人を装甲車に押し込むと、高速で都市の中心部へと走らせた。車窓から見える景色は、帝国とはまるで異なる。高くそびえる鉄塔群、無数のホログラム広告が夜空を埋め尽くし、人々は忙しなく行き交う。その中を、鎖に繋がれた者たちが掃除機を押していた。首輪に刻まれた数字が、彼らが奴隷であることを示している。
劉悦の瞳が鋭く光る。
「あれが、連邦の繁栄というものか。まるで蟻の巣だ。」
彼女の声には軽蔑が滲んでいた。史妮は何も答えず、ただ窓の外を見つめ続ける。彼女もまた、帝国の宮殿で育った身ではない。幼い頃から劉悦に仕え、帝国の礼節と優雅さを叩き込まれてきた。その彼女にとって、連邦の街並みはあまりにも雑然としていた。
やがて車は、一際巨大なホテルの前に停まった。外壁は全面ガラス張りで、内部から漏れる光は星のように煌めいている。しかし、その輝きは劉悦の心には届かなかった。なぜなら、ホテルの入り口に立つ警備員たちが、明らかに武器を携帯しているからだ。守られているのではなく、監視されている。その感覚が、彼女の胸に冷たい石を乗せた。
案内された部屋は、確かに豪華だった。天井まである窓からは都市の全景が一望でき、家具はすべて最高級の素材で作られている。ソファに座れば、柔らかな感触が身体を包み込む。しかし、それも束の間の安堵に過ぎなかった。
「公主様、こちらがお部屋です。何かご要望があれば、端末でお申し付けください。」
そう言い残して、連邦の役人は無表情で扉を閉めた。鍵がかけられる音が、鈍く響く。
劉悦はその瞬間、自分が美しい檻の中に閉じ込められたことを悟った。
「史妮。」
「はい。」
「私は、人質なのだな。」
その言葉は、自分自身に言い聞かせるように小さかった。史妮は彼女の隣に跪き、そっと手を握った。
「公主様、お一人ではありません。私がお側におります。」
劉悦はその温もりに、わずかに目を伏せた。しかしすぐに顔を上げ、再び窓の外へ視線を向ける。連邦の首都は、夜になっても決して静まることはない。無数の灯りが地上を這い、光の河となって流れている。その中で、奴隷たちは今日も鎖を引きずりながら働き続けるのだろう。
「あの人々は、皆、自由を奪われている。帝国では、奴隷という制度は公には認められていない。それが連邦では、平然と行われている。」
「ええ、公主様。私も驚いております。」
「彼らは、そんなものを繁栄と呼ぶのか。」
劉悦の声には、怒りと失望が混ざっていた。彼女は帝国の宮殿で何不自由なく育った。父である皇帝は彼女を「帝国の宝石」と称し、臣民たちは彼女の前で平伏した。優雅な舞踏会、美しい調度品、何一つ欠けることのない日々。しかし今、そのすべてが遠い過去の幻影のように思えた。
連邦との戦争に敗れ、帝国は莫大な賠償金と共に、彼女を人質として差し出した。和平の条件だと言う。しかし劉悦には、それは単なる屈辱の始まりに過ぎないと感じられた。
「史妮、私はかつて、自分が世界で最も自由な人間だと思っていた。だが今、その考えがどれほど愚かだったか、思い知らされている。」
史妮はその言葉に、胸を締め付けられた。彼女は劉悦のことをよく知っている。外面は高慢で誇り高いが、内側は案外繊細で脆い。自分の置かれた状況を、誰よりも深く理解している。だからこそ、苦しんでいる。
「公主様、どうかお心を強くお持ちください。帝国は必ずや、公主様を迎えに参ります。」
「本当にそう思うか?」
劉悦は史妮の顔をじっと見つめた。その瞳には、一瞬の迷いが浮かんでいた。史妮はそれを見逃さなかった。
「私は信じております。公主様の父君であられる皇帝陛下は、公主様を決して見捨てられませぬ。」
「ふっ……」
劉悦は短く笑った。それは自嘲だった。
「父上は、帝国を選んだ。私ではない。もし帝国が私を必要としなければ、私はこのまま連邦の闇に消えるだろう。それが、人質の宿命だ。」
その言葉には、抗いようのない現実が宿っていた。史妮は唇を噛みしめ、必死に涙を堪えた。彼女は女官として、公主を守るのが使命だ。しかし、この未知の地で、自分にどれだけの力があるのか、確信は持てなかった。
それでも、彼女は誓った。たとえこの身がどうなろうとも、決して公主を一人にはしない、と。
「公主様、私はお守りいたします。何があっても。お側を離れません。」
その声は震えていたが、確かな意志を帯びていた。劉悦はその言葉に、少しだけ顔を緩めた。
「史妮、お前だけが私の拠り所だ。そのことを忘れるな。」
「はい、公主様。」
史妮は深く頭を下げた。二人の間には、宮殿で培われた絆が確かに存在していた。しかし、その絆も、これから訪れる試練の前で、いかに脆いものか――この時点では、誰にも予想できなかった。
窓の外では、連邦の夜が更けていく。無数の光はますます激しく瞬き、まるで地上の星々が踊っているかのようだった。しかし、その美しさは、劉悦の心を慰めることはなかった。彼女はただ、遠い帝国の空を思い浮かべ、無意識のうちに手を握りしめていた。
史妮はその横顔をじっと見つめながら、今できる唯一のことを胸に刻んだ。明日が来ても、その先がどんなに過酷でも、自分はこの方を支え続ける、と。
夜はまだ始まったばかりだった。