聖都リンディスの大聖堂前広場には、数千の群衆が詰めかけていた。大理石の柱にはめ込まれた聖光の紋章が、昼なお輝く光を放ち、審判台に立つ三人の主教の法衣を青白く照らしている。
「魔女アリシアよ。汝、魔王として人間の国々に災いをもたらした罪、認めるか?」
大主教の声が石畳を伝って響く。アリシアは鎖に繋がれた両手をだらりと下げたまま、口元だけで笑った。
「災い?私は市場原理を教えたまでよ。お前たちの腐敗した経済システムを正そうとしただけだ。それを『災い』と呼ぶのは、無知の極みだ」
彼女の紅玉のような瞳が嘲弄の光を宿す。隣に立つリアナが、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「よく言ったわ、アリシア。この坊主どもは、金の流れすら理解できていないものね」
リアナは蒼い髪を風に揺らし、腰の剣に手をかけた。彼女の放つ剣気が周囲の空気を震わせる。衛兵たちが一歩後退した。
「勇者リアナよ。お前は魔王に仕え、聖都への侵攻を導いた。その罪をどう償うつもりだ?」
興奮を必死に抑えながら、大主教が声を張り上げる。リアナは肩をすくめた。
「償う?私はただ、正しい主を選んだだけよ。お前たちの偽善的な教義に従うくらいなら、地獄の底で踊るほうがマシね」
群衆がざわめいた。罵声と嘲笑が飛び交う。アリシアはゆっくりと顔を上げ、大主教を真っ直ぐに見据えた。
「いいでしょう。私が牢獄に入る。ただし、条件がある」
「条件だと?」
「リアナも同じ牢に入れること。そして、私の取引の提案を聞くことだ」
大主教は顎に手を当て、しばし考え込んだ。やがて、彼は頷いた。
「よかろう。魔女の知恵を借りるのも一興だ。ただし、もし枷の封印を解こうものなら……ただでは済まさぬ」
衛兵たちが二人の腕を掴んだ。リアナは身を任せながら、アリシアにささやいた。
「上手くいくわね。計画通りよ」
「ああ。だが、ここからが本番だ。油断するな」
二人は地下へと続く螺旋階段を下りた。石壁に取り付けられた松明の明かりが、影を壁に踊らせる。空気が湿り、カビの匂いが混じる。階段を三百段ほど下りたところで、巨大な鉄の扉が現れた。
「聖光の地下牢だ。ここからは魔法も剣技も封じられる」
衛兵の一人が鍵を回す。ギシギシと錆びた音を立てて扉が開いた。中は暗く、奥からは水の滴る音が聞こえてくる。アリシアは足を踏み入れながら、壁に刻まれた聖印を指でなぞった。
「聖光の加護か。魔力を吸い取る機構が組み込まれているわね。考えたものだ」
「黙れ、魔女。お前の口が回るのも、ここで終わりだ」
別の衛兵が二人を別々の独房へと引き離した。アリシアは黒い鉄製の牢格子に手をかけ、リアナの方を振り返った。
「心配するな。すぐにこの枷を外す方法を見つける」
「信じてるわ、アリシア」
リアナが笑顔を返す。その一瞬で、二人の間の信頼が闇を裂いた。だが、衛兵たちは冷笑しながら、アリシアの両手に特製の枷をはめた。
「聖光の祝福を受けた枷だ。魔法も物理的な力も無効化される。大人しくしていろ」
枷が手首に触れた瞬間、アリシアの体内から魔力が抜け落ちる感覚が走った。彼女は歯を食いしばり、痛みを堪える。リアナも同様の枷をはめられ、顔色が一瞬で青ざめた。
「これが……聖光の枷……」
リアナは小さく呟き、自分の手を見つめた。かつてはあらゆるものを斬り裂いた蒼剣が、今やただの金属の塊になっている。彼女は深く息を吸い込み、目を閉じた。
夜が更ける。地下牢は静寂に包まれた。松明の炎が時折パチパチと音を立て、影を揺らす。他の囚人たちは皆眠りについたようだった。
リアナは目を開け、周囲を警戒した。衛兵の足音が遠くで消えたのを確認すると、彼女は立ち上がった。
「今だ」
彼女は枷に手をかけ、力を込めた。全身の筋肉が緊張し、血管が浮き出る。かつてなら、この程度の枷など、一瞬で引きちぎれた。だが、今は違う。聖光の枷が彼女の力を完全に封じていた。
「くそ……!」
リアナは歯を食いしばり、何度も何度も枷を引いた。腕が震え、汗が額から滴る。呼吸が荒くなり、喉の奥から悲鳴が漏れそうになる。
「どうした?勇者よ。力が出ないのか?」
隣の独房からアリシアの冷ややかな声が聞こえた。リアナは唇を噛みしめた。
「……違う。まだ本気を出していないだけだ」
「ほう。ならば見せてもらおうか」
アリシアの言葉に、リアナはさらに力を込めた。だが、枷はびくともしない。むしろ、彼女の力が吸い取られるような感覚が強まる。身体が震え、視界が歪み始める。
「ダメだ……これ以上は……」
ついに彼女は力尽き、床に膝をついた。自分の無力さに、涙が込み上げる。かつてはどんな敵も打ち倒した。どんな試練も乗り越えてきた。なのに、この枷一つすら外せないとは。
「……アリシア、ごめん。私、力が……」
「謝るな、リアナ。想定内だ」
アリシアの声が優しくなる。彼女は暗闇の中で目を閉じ、何かを考えているようだった。
その時、重い足音が地下牢に響いた。衛兵たちが三人、アリシアの独房の前に立つ。
「魔女アリシア。主教会の命により、お前を特別な独房へ移す」
「特別な独房?」
アリシアは眉をひそめた。衛兵の一人が枷を外し、彼女の腕を掴む。別の衛兵が彼女の口に鉄の枷をはめた。
「何をする!アリシア!」
リアナが叫ぶが、声は虚しく響くだけだ。アリシアは無理やり連れて行かれ、別の独房に押し込まれた。そこは普通の独房よりも小さく、壁一面に聖印が刻まれていた。中央には鉄の鎖と、椅子のようなものが置かれている。
「ここでお前の傲慢がどれほど脆いか、教えてやる。おとなしく従え」
衛兵たちはアリシアの手足を鎖で吊るし、口枷を固定した。彼女は椅子に座らされ、鎖で身動きが取れなくなった。口枷のせいで言葉も発せない。
「これで一晩中、聖光の光を浴びることになる。己の罪を思い知るがいい」
衛兵たちは去っていった。アリシアは閉じたまぶたの裏で、聖光の明るさに耐えながら考える。
『聖光の枷……これはただの拘束具ではない。私の精神を侵食している。このままだと……』
彼女の思考が鈍り始める。聖光の光が頭の中でじわじわと広がり、意志を溶かしていく。アリシアは無意識のうちに、リアナの顔を思い浮かべた。
『リアナ……お前はまだ、俺を信じているか?』
その答えは、闇の中に消えていった。