# 第3章
数千年の時を経て、龍右の心に久しく忘れていた興奮が蘇っていた。それは退屈を極めた日常に突如として舞い込んだ、予想外の刺激だった。
「ふっ…」
魔王は自らの唇の端を持ち上げ、細められた瞳に冷たい光を宿らせた。手にした万能首輪——それはかつて、ある愚かな神が自らの力を過信して挑んできた際に奪い取った品だ。装着者の力を任意の等級に偽装することができる、まさに稀有な魔道具である。
龍右はそれを自らの首に嵌め、力を8級にまで抑え込んだ。本来の世界最強の気配が霧散し、代わりに一介の上位魔族程度の存在感が滲み出る。さらに、漆黒の蛇尾を銀白色に変容させると、魔王は更衣室へと足を運んだ。
鏡の前に立った龍右は、自らの変わり果てた姿に満足げな笑みを浮かべる。黒曜石のような瞳はそのままに、顔立ちはより獣的で粗野な印象へと変えられている。変装魔法によって、誰もこの男が世界の支配者であるとは気づくまい。
「まったく…こんな格好をさせるとはな」
自嘲気味に呟きながら、龍右は用意された装束を身に纏っていく。まずは半透明の薄絹のヴェール——それは胸筋を覆い隠すどころか、むしろ強調するように肌に張り付いた。盛り上がった大胸筋と、くっきりと線を描く腹筋が、ヴェール越しに淫らに透けて見える。
次に、龍右は乳輪ピアスを両方の乳首に通した。黄金の輪が胸の頂点で微かに揺れる。臍には鎖状のピアスが貫通しており、細長いへその窪みから華奢な鎖が垂れていた。腰には幾重もの金の鎖が巻かれ、歩くたびに金属の擦れる涼やかな音を立てる。
そして、最も重要な装飾——肛門栓。それは一面にダイヤモンドと黒曜石が敷き詰められた、一見するだけでもその価値が窺える豪華な代物だった。龍右はそれを慎重に自らの後孔に挿入し、カチリと嵌め込む。宝石の冷たい感触が、敏感な内壁を心地よく刺激した。
「ふぅ…っ」
思わず甘い吐息が漏れる。龍右は目を細め、その感覚を味わうように数秒間静止した。この倒錯的な悦び——自らを飾り立て、商品として差し出す背徳感が、魔王の血を滾らせる。
準備を整えた龍右は、誰にも悟られることなく王城を抜け出した。向かう先は地下闇市——表の世界では決して許されぬ取引が行われる、闇の市場である。
闇市は王都の地下深くに広がっていた。薄暗い通路の両側には色とりどりの露店が立ち並び、怪しげな薬草や禁断の魔道具、あるいは違法な情報などが取引されている。空気には汗と血と、かすかに硫黄の臭いが混じっていた。
龍右が現れると、通りすがりの者たちの視線が一気に集まった。8級という上位魔族の存在感もさることながら、そのあまりにも派手で淫らな装束に、誰もが目を奪われたのである。
「なんだありゃ…あんな格好の蛇人族、見たことねえぞ」
「すげえ胸筋だな…しかしなんでまたあんな装飾を」
「まさか…あの辺の店に行くんじゃねえか?」
囁き合う声を無視して、龍右は悠然と歩を進める。尾を引くようにして従う視線を、魔王はむしろ楽しんでいた。好奇と欲望と羨望が入り混じったそれらの視線は、遠い昔、まだ凡庸な魔族だった頃を思い出させる。
やがて龍右は目的地に到着した。それは闇市最大の奴隷市場——壁一面に檻が積み上げられ、その中では様々な種族の奴隷が売り物として並べられていた。入口には門番として屈強なオーガが二人、仁王立ちしている。
「おい、止まれ。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
オーガの一人が龍右の行く手を阻む。しかし龍右が8級の気配を微かに解放した瞬間、オーガたちの顔色が一変した。
「も、もも申し訳ございません!お通りください!」
慌てて道を開けるオーガたちを横目に、龍右は市場の中へと入っていく。市場の責任者と思しき中年の魔族が、異変を察知してすぐに駆け寄ってきた。
「これはこれは…8級の蛇人の方でいらっしゃいますか。これはこれは、ようこそお越しくださいました。どのようなご用件で?」
腰を低くする責任者に、龍右は淡々とした口調で告げた。
「奴隷を買いに来たわけではない。売りに来たのだ」
「売りに…?」
責任者は首を傾げる。8級もの強者が自ら奴隷として売りに来るなど、前代未聞の出来事だった。
「ええと…それでは、どのような種族の奴隷をお求めで?もしや、どこかの部族を攻め落とされたのですかな?」
「違う。私自身を売るのだ」
「は?」
龍右の言葉に、責任者は一瞬呆けた表情を浮かべた。しかしすぐにそれが冗談ではないと悟り、脂汗を浮かべる。
「お、お待ちください、8級の方自ら奴隷として…?それはその…少々常識外れでは…」
「構わない。私は売られることを望んでいる。競売にかけろ。それだけだ」
龍右の有無を言わせぬ迫力に、責任者は二の句が継げない。結局、責任者は奥へと引っ込み、市場の支配人を呼びに行った。
支配人は年老いたドワーフだった。白髪交じりの髭をたくわえ、しかし目だけは鋭く光っている。彼は龍右を一瞥すると、すぐに事態を飲み込んだらしく、重々しく頷いた。
「お客人の申し出、確かに承った。だが、本当に良いのだな?一度競売にかけられれば、落札者の所有物となる。後悔しても遅いぞ」
「承知の上だ」
龍右は即座に答えた。支配人はその目に宿る確固たる意志を見て取り、もはや何も言わなかった。
「よかろう。ならばこちらへ」
案内された先には、特製の金属檻があった。それは通常の奴隷用の檻よりも頑丈で、内部には拘束具も備えられている。龍右は自ら檻の中に入り、手を差し出した。
「拘束は必要か?」
「いや…8級の方に無理強いするつもりはない。お客人が自ら望んで檻に入っている以上、無用の措置は取らせない」
支配人の判断に、龍右は微かに口元を緩めた。賢明な判断だ。
こうして、魔王は自ら檻の中に収まった。そして——競売の刻が訪れるまで、龍右は静かに待つのだった。
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闇市の奴隷市場は、夜の帳が完全に下りると同時にその活況を極めた。表の世界では決して日の目を見ることのない取引が、ここでは公然と行われる。今日もまた、多くの買い手たちが集まっていた。
競売場は階段状に設えられた観客席に、すでに百を超える人々が詰めかけていた。その中には人間もいればエルフもいる。魔族はもちろん、獣人やドワーフ、果ては悪魔までもが、値踏みするような目で並べられた商品を見渡している。
「これより、第百三十七回奴隷競売を開始する!」
競売人の掛け声とともに、槍で床を叩く音が響く。観客席のざわめきが一瞬で静まった。
最初に競売にかけられたのは、低級の奴隷たちだった。ゴブリンやコボルトなどの下位種族が、5体まとめて銅貨数十枚で取引されていく。次いで、オークの戦士やホビットの農民など、実用品としての価値を持つ奴隷が競り落とされていく。
しかし、今日の観客たちの目は、どこか上の空だった。誰もが噂している。歴史上初めて、8級の魔族が奴隷として売りに出されるということを。その話題は闇市中に広がり、多くの者がその噂を確かめるために集まっていたのだ。
「続いて、4級ハイエルフの雌奴隷!美貌と従順さを兼ね備えた逸品!開始価格は金貨三十枚!」
競売人の声が響く。しかし、観客の反応は鈍い。誰もが本命を待っていた。
やがて、低級から中級の奴隻が全て売り切れた。競売人は手元の羊皮紙を確認し、深く息を吸い込んだ。
「さあ、本日の目玉商品をお見せしよう!」
その言葉と同時に、会場の照明が一段と落とされる。そして、中央の壇上に設置された檻へと、スポットライトが当てられた。
「本日最後の競売品——史上初、8級蛇人族の奴隷である!」
ざわりと、観客席が揺れた。それは驚嘆であり、疑念であり、そして欲望だった。
檻の中には、まさに龍右が立っていた。半透明のヴェールに包まれた逞しい上半身、金の鎖で飾られた腹部、そして宝石の輝く尻尾。その姿は淫靡でありながらも気高く、尊大でありながらも蠱惑的だった。
「8級が奴隷?冗談だろ…」
「あの装飾…まさか自ら進んで檻に入ったのか?」
「しかし本当に8級なのか?確かに気配は8級だが…」
囁き合う声の中、龍右は悠然と檻の中で腕を組んでいた。その態度は奴隷というより、むしろ自分を査定する者たちを見下しているようにさえ見えた。
「鑑定は済んでいる!この蛇人族の男、間違いなく8級の実力を持つ!年齢は外見通り若々しく、健康状態も極めて良好!そして何より——」
競売人はここで一呼吸置き、声のトーンを変えた。
「——その美しい肢体と、従順な気質が売りである!この奴隷は、主人の命令に絶対服従するよう調教済み!さらに、性的奉仕の訓練も施されている!」
観客席が再びざわついた。今や誰の目も、龍右から離れない。あの淫らな装飾が何を意味するのか、ようやく理解できたのだ。
競売人は高らかに宣言する。
「開始価格は——金貨一万枚!」
その額に、一瞬で会場が静まり返った。金貨一万枚——それは小国ならば一年分の予算に相当する金額だ。
しかし、沈黙は長くは続かなかった。
「一万一千!」
最初に手を上げたのは、裕福な魔族の商人だった。彼は龍右の筋肉質な体躯を見て、護衛としての価値を見出したのだろう。
「一万五千!」
続いて名乗り出たのは、人間の男だった。貴族と思しき彼は、龍右の美貌に魅せられたようだ。
「二万!」
「二万二千!」
「三万!」
瞬く間に値は跳ね上がっていく。龍右はその様子を静かに見守っていた。自らが金で売り買いされる——その屈辱感が、逆に魔王の心を高ぶらせた。
「五万!」
声の主は、全身を毛皮に包んだ北方の豪族だった。彼は護衛兼愛人として、龍右を手に入れようとしている。
「六万!」
「七万!」
「八万!」
競りは白熱し、金額は天井知らずに上がっていく。8級の奴隷など、史上初の出来事だ。その価値を誰も正確に見積もることができない。
「十万!」
その声で、またしても会場が静かになった。発言者は人間の老人だった。深い皺の刻まれた顔に、しかし目だけは鋭く光っている。彼は帝国有数の富豪として知られるガルス・オルドリッチだった。
「ガルス卿が十万だと!」
「こりゃあ、他の連中は太刀打ちできんな…」
観客たちの囁きが聞こえる中、ガルスは悠然と立ち上がり、檻の中の龍右をまじまじと見つめた。
「実に見事な肉体だ。この年になっても、美しいものは美しいと認めよう。さらに8級の実力ともなれば、護衛としても申し分ない」
ガルスの言葉に、他の買い手たちは諦めの表情を浮かべる。十万金貨——それはもはや一国の財政を揺るがす額である。
「十万、一度!」
「十万、二度!」
「十万、三度!決定!」
競売人のハンマーが、高らかに打ち鳴らされた。
こうして、史上初の8級奴隷は、人間の富豪ガルス・オルドリッチによって落札された。
檻の中の龍右は、微かに笑みを浮かべた。その笑みには、何かを企むような、冷たい愉悦の色が滲んでいた。
「ふっ…」
魔王龍右の、新たな物語が始まろうとしていた。