その夜、林家大邸では盛大な宴が開かれていた。灯りが燦々と輝く広間には、色とりどりの衣装を纏った貴顕紳士が集い、華やかな談笑が絶えない。林清月は父の隣に立ち、ほのかな微笑みを浮かべていた。絹の長袍は彼女の気高い身のこなしを一層引き立て、すべての動作が洗練され、優雅そのものだった。
「清月、あちらにいる李将軍のご子息に挨拶をしなさい。」
父の声に、彼女はただ頷いた。内心では、こうした表面的な交際にうんざりしていた。彼女が本当に望むのは、自由に風を切って駆けること、偽りのない感情で誰かと向き合うことだった。だが、身分という名の重い鎖は、彼女を常に型にはめた振る舞いへと縛りつけた。
宴もたけなわ、清月はこっそりと広間を抜け出した。廊下を進み、ひときわ静かな奥の部屋へと足を踏み入れる。そこは昔のままの調度品が並び、ほとんど人が立ち入らない場所だった。部屋の中央に、年代を感じさせる大きな鏡が置かれている。枠には細かい文様が彫られ、鈍い光を反射していた。
「こんなもの、あったかしら…」
彼女は無意識に手を伸ばした。指先が鏡面に触れた瞬間、冷たい感触が一気に全身を駆け抜けた。世界がぐらりと歪み、視界が真っ白に覆われる。耳元で風の唸るような音が響き、やがてすべての感覚が闇に溶けた。
次に清月が目を覚ましたとき、彼女は堅い板の上に横たわっていた。背中に当たる感触は粗く、冷たい。見上げた先には、薄汚れた天井と、かび臭い空気が漂っていた。
「ここは…どこ?」
彼女は自分の声を聞いて息を呑んだ。喉から出たのは、か細く、張りのない声。手を目の前に掲げると、指は節くれ立ち、肌は荒れていた。衣服も、ぼろぼろの麻の単衣一枚。
そのとき、戸が勢いよく開かれた。中年の女中が立っていた。
「霜儿、まだ寝ておるのか!さっさと起きて、令嬢様のお支度を手伝え!」
清月は頭が真っ白になった。霜儿?あの下働きの女奴隷の名だ。自分が、まさか…
「何を呆けておる!早うせんか!」
女中は手荒く清月の腕を引いた。清月はたたらを踏みながら立ち上がる。この身に宿る弱々しい力に、彼女は絶望的な確信を得た。自分は霜儿と入れ替わったのだ。
一方、別の部屋では、霜儿が驚愕のあまり固まっていた。
彼女は柔らかな寝台の上に寝かされていた。周りには繻子のカーテンがかかり、空気には甘やかな香が漂っている。自分の体を確かめると、絹の寝衣に包まれ、手は滑らかで、爪は丁寧に整えられていた。
「お嬢様、お目覚めになられましたか?」
若い侍女が恭しく声をかけた。霜儿はどもりながら返事をする。その口調は上品で、今の自分の声だった。
侍女たちがてきぱきと動き、彼女に着付けを始めた。上等な生地が肌に触れるたび、霜儿は現実味のない感覚に溺れそうになった。かつては自分がこの部屋に掃除に入り、床を拭きながら、この寝台の温かさを想像したものだ。今、その想像が現実となっている。だが、これは祝福か、呪いか。
「お嬢様、朝餉の準備が整いました。応接間にお運びください。」
侍女たちに導かれ、霜儿は広い廊下を歩いた。壁には名画が掛けられ、床には絨毯が敷き詰められている。すべてが豪奢で、彼女は自分の足取りが震えるのを感じた。同時に、心の奥で何かが燃え上がるのも自覚していた。この力、この地位——今こそ、自分は決して蔑まれる存在ではない。
使用人部屋に閉じ込められた清月は、必死に考えを巡らせていた。
「どうすればいい…早く元に戻らなければ。」
彼女は昨夜触れた鏡のことを思い出した。あの鏡こそが原因だ。ならば、再びあの鏡に触れれば、元の体に戻れるかもしれない。
しかし今の自分はただの下働きに過ぎない。自由に屋敷を動き回るどころか、令嬢の部屋へ入ることなど許されないだろう。焦りと屈辱が彼女の胸を締めつけた。そして、何より恐ろしかったのは、自分とは正反対の境遇にいる霜儿が、この身分をどう利用するか——その想像が、彼女に一層の不安をもたらした。
廊下の向こうから、令嬢として振る舞う霜儿の声が聞こえてきた。その声は初めて味わう自由に酔っているように、少し震え、それでいて強く響いていた。