# 第五章 絶望の空白
廃墟と化した商店街のアーケードは、かつての賑わいを完全に失っていた。剥がれ落ちた看板、折れたベンチ、そしてあちこちに散乱する生活用品の残骸。
蘇雪晴は慎重に足を進めた。すでに三日が経過していた。あの交番から逃げ出してから、彼女はただひたすらに生き延びるためだけに動いてきた。しかし、得られたものは何もなかった。食料も、水も、安全な隠れ家も——すべては虚ろな期待のままに消え去った。
「誰か……誰かいませんか……」
掠れた声がアーケードに吸い込まれていく。返事はない。あるのは風が瓦礫の隙間を通り抜ける音だけだ。
彼女は倒れた自転車を避け、さらに奥へと進んだ。かつては小さなスーパーマーケットだっただろう店の前に立つ。ガラスの扉は完全に破壊され、店内は荒らされ尽くしていた。
「せめて、何か……」
陳列棚は倒れ、床には割れた瓶や缶詰が散乱している。彼女は屈み込み、無造作に手を伸ばした。指先が冷たい金属に触れる。缶詰だ。
「あった……」
声が震えた。その瞬間、彼女の足元で何かが軋んだ。見下ろすと、ガラスの破片が散らばっている。慌てて後退しようとしたが、バランスを崩した。
「あっ!」
体が大きく傾ぐ。両手を前に突き出して倒れ込むのを防ごうとしたが、無意識に踏み込んだ足がガラスの破片を踏みつけた。鋭い痛みが走る。咄嗟に体を捻り、壁に手をついてどうにか転倒は免れた。
「はあっ、はあっ……」
荒い呼吸がアーケードに響く。彼女はゆっくりと自分の足元を見た。靴底にガラスの破片が刺さっている。幸いにも厚いゴムが防いでくれたが、もし素足だったら——考えるだけで背筋が凍った。
「もう、嫌だ……」
その言葉は無意識のうちに漏れ出ていた。もう嫌だ——本当に、何もかもが嫌になっていた。この終わりのない恐怖も、尽きることのない孤独も、そして何より、自分自身の無力さが。
彼女はその場に座り込んだ。目に入るのは、瓦礫と、埃と、そしてどこまでも広がる虚無だけだ。生きている実感が薄れていく。自分がここに立っていることすら、夢の中の出来事のように思えてくる。
どれだけそうしていただろうか。気づけば、空は茜色に染まり始めていた。もうすぐ夜が来る。ゾンビたちが再び活発に動き始める時間だ。
蘇雪晴はよろよろと立ち上がった。足にはまだ痛みが残っているが、それに構っている余裕はない。彼女は商店街を後にし、目についた廃車へと向かった。
それはかつてのトラックだった。荷台は空で、運転席のドアは半ば開いている。彼女は慎重に中を確かめた。血痕や汚れはあるが、遺体はない。使えそうだ。
彼女は体を丸めて運転席に収まった。シートは破れ、バネが露出している。冷たい金属の感触が背中に伝わる。フロントガラスは割れていて、外の景色が歪んで見えた。
「寒い……」
夜になると、気温が急激に下がる。彼女は自分の腕を抱きしめた。食べ物も、水も、暖を取る手段もない。持っているのは、この壊れた車と、そして少しずつ小さくなる希望だけだ。
遠くから、低いうめき声が聞こえてきた。最初はかすかだったが、次第にはっきりとしてくる。ゾンビたちの鳴き声だ。彼らの活動が本格化している。
蘇雪晴は身を縮めた。声を出してはいけない。動いてはいけない。ただ、息を殺してやり過ごすしかない。
ゾンビの群れが近づいてくる音がする。足を引きずる音、不規則な呼吸、そして時折発せられる低い唸り声。それらがトラックの周りをぐるぐると回っている。
彼女は手で口を覆った。心臓が激しく打つ。この鼓動さえも、奴らに聞こえてしまうのではないかという恐怖にかられる。
「お願い……お願い、行って……」
声にならない祈りが、彼女の胸の中で繰り返される。誰に祈っているのかもわからない。神様か、運命か、あるいはただの空っぽの虚空に向かって。
やがて、ゾンビたちの気配が遠ざかっていく。彼らは別の場所へと移動したようだ。しかし、蘇雪晴はまだ身動き一つできなかった。恐怖が体を硬直させている。
窓の外は完全に闇に包まれていた。月明かりすらも差し込まない、深い暗黒だけがそこにある。彼女は自分の手を見つめた。震えている。そして、その手がひどく痩せ細っていることに気づいた。
「もう、どれくらい経ったんだろう……」
日数さえも曖昧になっていた。時計はとっくに止まっている。スマートフォンのバッテリーも、最初の数日で尽きた。今では時間の感覚すら失われている。
空腹が彼女の内側を蝕む。喉の渇きは、もはや痛みとして感じられる。唇はひび割れ、皮膚は荒れ果てていた。
「生きたい……生きたいのに……」
その言葉が、かすかな吐息として漏れる。しかし、生きるために何ができるのか。彼女には何も思いつかなかった。すべての手段は尽きた。すべての希望は潰えた。残されたのは、ただこの廃車の中で次の朝を待つことだけだ。
夜はまだ長い。遠くで再びゾンビの声が響く。それは終わりのない悪夢のように、彼女の耳に届き続ける。
蘇雪晴は目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、かつての日常の断片だ。家族の笑顔、友達との会話、何気ない一日の光景——それらはすべて、もう二度と戻らないものだ。
「終わらせたい……」
その声は、自分でも驚くほどに冷たかった。死への誘惑が、静かに彼女の心に忍び寄る。簡単だ。この車を出て、奴らの前に身を投げ出せばいい。そうすれば、すべての苦しみから解放される。
彼女はゆっくりと、ドアに手を伸ばした。指がレバーに触れる。鋼の冷たさが、かすかな痛みとともに伝わってくる。
しかし、その瞬間、彼女は手を止めた。
「いや……」
震える声が、暗闇の中で響く。なぜ止めたのか、自分でもわからなかった。ただ、本能がそれを拒否したのだ。どんなに絶望的でも、この命を自ら絶つことだけは——。
彼女は手を引っ込め、再び体を丸めた。暗闇の中で、彼女の瞳がかすかに光っている。それは涙だった。
絶望は、彼女の心を満たし、そしてその空白を広げていく。希望も、怒りも、悲しみさえも、すべてが飲み込まれていく、無残な空白へと。
「どうか……どうか、誰か……」
その願いは、誰にも届くことなく、夜の闇に消えていった。