雪瑶の父が経営する林氏グループは、ある朝を境に崩壊した。粉飾決算と脱税の嫌疑で、父は金融庁と警察に連行され、芋づる式に資産は凍結され、家屋敷も差し押さえられた。雪瑶はワンルームのアパートに身を寄せ、わずかな着替えと母の形見だけを抱え、茫然とテレビのニュースを見つめていた。
その夜、ノックもなく部屋のドアが開いた。スーツの男が二人、入ってくるなり部屋の中を見回し、後ろからゆっくりと現れたのが山本健一だった。金のチェーンと派手な指輪、目は笑っているようでいて冷たい光を帯びている。
「林雪瑶さん……お父さんが借金の抵当に君の身体を差し出したんだよ。知らなかったのか?」
雪瑶は立ち上がり、ベッドの端に手をついた。震える声で「そんなはずはありません。父がそんなことをするわけがありません」と反論した。
山本は書類の束を取り出し、彼女の前に投げた。父の署名と拇印が確かに押されている。借金返済の代わりに、娘の労働力を提供するという内容だった。期限は三年、場所は大阪・飛田新地。
「嫌です。私は絶対に行きません」
山本はゆっくりと携帯電話を取り出し、録画を再生した。画面の中では、拘置所の面会室で父が涙を流しながら頭を下げている。「雪瑶、すまない。お前だけが頼りなんだ。断れば、私はもう二度と外の空気を吸えない」
雪瑶の視界が歪んだ。その映像が、彼女の誇りを根こそぎ引き抜いた。
翌日、雪瑶は大阪の飛田新地に立っていた。昔ながらの商店街のような路地が続き、どの店の玄関にも着物やドレスを着た女性が座っている。山本に連れられ、一軒の店の前に立つ。看板には「花の井」とある。
店内は薄暗く、籐のソファと低い座卓。奥の座敷には布団が敷かれている。女将らしき四十代の女性が出てきて、山本と短く言葉を交わすと、雪瑶を奥へ通した。
更衣室で、女将――後に美玲と名乗る女が、簡潔に指示を出す。
「着替えなさい。下着は全部脱いで、これ一枚だけ。お客様の前では、常に膝をついて接する。おしゃべりは禁止、ただし求められたら何でも答えなさい。時間は三十分、一本。終わったらすぐにこのバケツで身体を洗いなさい。次の予約が入ってるから」
美玲は淡々と言い放った。その目は冷めていて、しかしどこか哀れみにも似た色を宿していた。
雪瑶は与えられた薄いシルクの着物を手に取り、震える手でボタンを外した。鏡に映る自分の顔は青白く、もはやあの名家の令嬢ではない。
第一号の客が来たのは、それから十分後のことだった。五十代の肥満した男が、酔った勢いで店に入り、雪瑶を指名した。美玲が彼女を座敷に連れて行き、襖を閉める。
男は雪瑶の肩を撫でながら、酒臭い息で「ほら、もっと近づけよ」と言った。雪瑶は身体を硬くし、顔を背けた。男の手が着物の襟をまさぐろうとした瞬間、彼女は反射的にその手を跳ね除けた。
「触らないでください!」
その声を聞きつけて、襖が勢いよく開いた。山本が立っていた。笑顔は消え、目だけが異様なほど冷たい。
「おい、雪瑶。てめぇ、分かってんだろうな?」
雪瑶は床に座り込みながら、震える声で言った。「私は……こんなことはできません」
山本はゆっくりと携帯電話を取り出し、ある番号に電話をかけた。数秒の呼び出し音の後、彼はスピーカーに切り替えた。聞こえてきたのは、母の叫び声と、何かが割れる音だった。
「今すぐ謝って、お客様の言う通りにしろ。さもなければ、次はお父さんの首が飛ぶと思え」
電話の向こうから、母の泣き声が聞こえる。「雪瑶、許して……お願いだから、お願いだから……」
雪瑶の目から涙がこぼれ落ちた。彼女は床に手をつき、額を畳に擦りつけるようにして頭を下げた。
「すみません……すみませんでした」
男が再び近づいてくる。雪瑶は目を閉じ、身体の力を抜いた。もう抵抗しない。できない。頭の奥で、何かがぷつりと切れる音がした。
その夜、全ての客が去った後、雪瑶は店の裏手で嘔吐した。美玲が後ろからタオルを差し出し、低い声で言った。
「ここでは、生きるためには何でもするしかない。誇りなんて、すぐにただの思い出になる」
雪瑶は涙も拭わずに、ただうなずいた。もう、自分の中の何かが決定的に変わってしまったことを、彼女は確かに感じていた。