暗雲が天を覆い、大地は裂けていた。蕭炎と魂天帝の決戦は、まさに終幕を迎えようとしていた。
「魂天帝、今日こそお前の命を絶つ!」
蕭炎の手に宿る異火が轟々と燃え上がり、空間ごと焼き尽くさんばかりの熱波を放つ。その瞳には冷徹な決意が宿っていた。長きにわたる因縁、無数の犠牲——すべてを終わらせる時が来たのだ。
魂天帝は全身に深手を負い、黒い血を滴らせながらも、なお不気味な笑みを浮かべていた。
「ふん…蕭炎よ、よくぞここまで追い詰めたものだ。だが——」
言葉の途中で、魂天帝の指が微かに動く。その指先に、見えざる力が集まる。蕭炎はそれを察知したが、もはや止められない。決着を急ぎすぎた代償か。
「終わりだ!」
蕭炎の異火が収束し、一条の光線となって魂天帝の胸部を貫いた。衝撃波が周囲の山々をなぎ倒し、空気が震える。魂天帝の身体が大きく仰け反り、膝をつく。
「がっ…!」
魂天帝の口から血塊が溢れ出る。しかし、その目には勝利の確信にも似た狂気が宿っていた。
「我が…最後の…后手を…受けてみよ…」
その言葉と同時に、魂天帝の全身が崩れ始める。だが、崩壊する肉体から放たれた黒い瘴気が、瞬時にして蕭炎を包み込んだ。
「なにっ!?」
蕭炎が異火で瘴気を焼き払おうとした瞬間、意識が激しく揺らぐ。視界が歪み、音が遠のく。まるで世界そのものが溶けていくかのようだった。必死に踏みとどまろうとするが、抗う術はない。
「くそ…っ、これは…幻境だと…!」
最後の意識の中で、蕭炎は自身の記憶が次々と剥がれ落ちていくのを感じた。斗之力、薬老、納戒、そして仲間たちの顔——すべてが霞のように消えていく。
「父上…」
かすかな声が聞こえた気がした。しかし、その意味を理解する前に、蕭炎の意識は深い闇へと沈んでいった。
目を開けると、見覚えのある光景が広がっていた。
雲嵐宗の演武場。周囲には無数の弟子たちが立ち並び、皆の視線が一人の少年に注がれている。蕭炎は自分の手を見下ろした。幼く、細い指。かつて、人生最大の屈辱を味わった瞬間だ。
「蕭炎、お前との婚約を破棄する。お前のような廃人に、我が娘を嫁がせるわけにはいかない」
目の前で、傲然と立つ男が宣言する。それは葛葉——かつての婚約者、嫣然の父だった。周囲から嘲笑が漏れる。蕭炎は歯を食いしばりながらも、なぜか怒りが湧いてこなかった。
(なぜだ…なぜ、こんなに冷静なんだ?)
疑問が頭をよぎるが、すぐに消え去る。まるでそれが自然なことのように。記憶の奥底に何かが封印され、代わりに偽りの記憶が植え付けられていた。蕭炎はただの落ちこぼれの少年。それ以上でも以下でもない。
その場から去ろうとした時、三人の美しい少女が近づいてきた。先頭に立つのは、茶色の長髪を持つ気高げな娘——薫児。その後ろに、冷艶な美杜莎と、優しげな小医仙が続く。
「蕭炎君、大丈夫?」
薫児が優しく声をかける。蕭炎は顔を上げ、彼女の瞳を見つめた。なぜか、その瞳に深い親しみを覚える。しかし、理由はわからない。
「ああ…何ともない」
蕭炎は短く答え、歩き出した。背中に、三人の視線が突き刺さる。その目には、憐れみと——ある種の企みが宿っていた。
「計画通り進んでいるわね」
薫児が小声で囁く。美杜莎が冷たく微笑み、小医仙が憂いを帯びた表情でうなずく。
「ええ。あとは彼が、この幻境の中で正しい道を歩むように仕向けるだけ」
「彼の記憶を完全に封印した。もう元の自分を思い出すことはないわ」
美杜莎が言い放つ。薫児は満足げに頷いた。
「私たちが育てた幻境の炎帝——彼と蕭炎を結びつける。そして、蕭炎の身体は私たちのものになる」
三人の陰謀は、静かに、確実に進行していた。
一方、幻境の外。
魂天帝は血の海の中に浮かび、傷を癒していた。周囲には破壊された山岳が転がり、異火の痕跡が生々しく残っている。彼の胸の傷は深く、完全に回復するには長い時間が必要だった。
「ふ…蕭炎よ。お前は幻境で永遠に彷徨うがいい。その間に、我が復活を遂げる」
魂天帝の目が、冷たい光を宿す。外界の大地はさらに荒廃し、魔の手が勢力を拡大しつつあった。だが、蕭炎を倒せる者はいない。世界は、ゆっくりと死の淵へと向かっていた。
幻境の中では、蕭炎が婚約破棄の屈辱を乗り越え、新たな運命の歯車に巻き込まれようとしていた。彼の知らぬところで、愛する者たちが仕組んだ罠が、静かに彼を絡め取っていく。
かすかに、遠くで誰かの叫び声が聞こえた。しかし、それは幻境の風に消えた。蕭炎はただ、目の前の修行に没頭するだけだった。