# 第一章 幼なじみ
青陽城は雲州の東部に位置する、人口十数万の小さな城である。城内には四つの大きな勢力が存在し、それぞれ林、柳、張、李の四家と呼ばれ、青陽城の政、商、武を掌握していた。
林家は代々武術を重んじ、家督を継ぐ者は皆、武の道に秀でていた。当代の林家主・林震天は青陽城でも五指に入る高手であり、その息子・林逸辰は幼い頃から驚異的な才能を示していた。
「逸辰哥哥!」
柳家の別院で、一人の少女が駆け寄ってくる。柳家の令嬢・柳如烟。まだ十二歳だが、その美貌はすでに城内で噂になるほどだった。
「如烟、また遊んでばかりいると、また柳叔父に叱られるぞ」
林逸辰は苦笑しながら、走り寄ってきた少女を受け止める。同い年だが、彼の身長はすでに如烟より頭一つ分高かった。
「だって、逸辰哥哥に会いたかったんだもの。お習字の稽古なんて退屈で仕方ないわ」
如烟はぷうっと頬を膨らませる。その仕草が愛らしく、林逸辰は思わず笑みをこぼした。
「ならば、俺が教えてやろうか?叔父上に頼めば、一緒に習えるかもしれない」
「本当?!」
如烟の目が輝く。二人は幼い頃から許嫁の間柄で、周囲もそれを認めていた。林逸辰にとって如烟は守るべき存在であり、また如烟にとって林逸辰は憧れと信頼の対象だった。
その年の秋、林家の武術大会が開かれた。四年に一度のこの大会は、林家の若者たちにとって晴れの舞台であり、将来の家督争いにも影響する重要な場であった。
「今年の大会は、逸辰が注目されているそうだ」
「ああ、聞けば彼はもうすぐ御気境に突破するかもしれないと言う。十三歳で御気境とは、林家始まって以来の天才だ」
観客席からは囁き声が聞こえる。林逸辰はその言葉を背中に受けながら、試合台に上がった。
相手は三歳年上の従兄・林逸飛。体格も経験も勝っているはずだが、林逸辰の目には何の恐怖もなかった。
「始め!」
合図とともに、林逸飛が猛然と飛びかかる。しかし、林逸辰は微動だにせず、相手の拳が目前に迫った瞬間、体をひねってかわすと同時に、掌で相手の脇腹を打った。
「ぐっ!」
林逸飛の体がよろめく。その隙を逃さず、林逸辰は連続して攻撃を仕掛けた。三段の掌撃が正確に急所を突き、林逸飛はついに膝をついた。
「一本!林逸辰の勝ち!」
会場がどよめく。たった三つの技で、年上の相手を倒したのだ。その見事な技の冴えに、林震天でさえ目を細めた。
「逸辰、よくやった」
試合後、林震天は息子の肩を叩いた。その手は誇らしげだった。
「まだまだです、父上。もっと精進します」
林逸辰は恭しく頭を下げたが、その目には確かな自信が宿っていた。
以降、林逸辰の名は青陽城に轟いた。彼は次々と同世代の者たちを打ち負かし、十五歳になる頃には、城の若者の中で敵う者はいなくなっていた。
「逸辰哥哥、すごいのね」
「言っただろう、如烟を守れる男になると」
城壁の上で、二人は夕日を見つめていた。如烟の手が、そっと林逸辰の手に触れる。彼はその手を優しく握り返した。
「約束よ。私たち、必ず結婚するの」
「ああ、約束だ」
その時、二人の影は一つに重なっていた。
しかし、青陽城にはもう一人、如烟を見つめる男がいた。張家の御曹司・張良。彼は林逸辰と同じ年だが、その性格は正反対だった。陰湿で、嫉妬深く、そして執念深い。
「林逸辰がまた柳如烟と一緒にいるのか」
張良は邸の屋敷から、城壁に立つ二人の姿を見つめていた。その目には暗い炎が揺らめいている。
「若様、林逸辰はもうすぐ御気境中期に達するそうです。このままでは、青陽城の若者の頂点は彼のものになるでしょう」
「黙れ」
側近の言葉を、張良は鋭く遮った。
「あいつが天才?ただの運のいい奴だ。俺の方がずっと努力している。それなのに、何故如烟はあいつばかり見るんだ?」
拳を握りしめ、彼は唇を噛んだ。許嫁という立場がなければ、如烟は自分を見てくれるかもしれない。そう信じて疑わなかった。
「調べさせろ。林逸辰の弱点を。必ず何かあるはずだ」
張良の声は低く、冷たかった。その影は夕日に伸び、まるで這う蛇のように不気味だった。
同じ頃、柳家では別の話が進んでいた。
「如烟、そろそろ林家との婚約の話を本格的に進めようと思う」
柳父が娘に告げた。如烟の顔が一瞬で真っ赤になる。
「お、お父様……私はまだ……」
「もう十七になる。そろそろだ。逸辰なら立派にやっていける。安心して任せられる」
如烟はうつむきながらも、その頬は緩んでいた。父が認めてくれている。それが何より嬉しかった。
だが、運命は皮肉にも、この穏やかな時間を長くは許さなかった。
その年の暮れ、林逸辰は修行のために城外の秘境へと向かった。そこで彼は思わぬ災難に遭う。彼の魂は、妖魔討伐の途中で遭遇した姫陰双煞の一人・紅綾の身体に封じ込められてしまったのだ。
それは、すべての歯車が狂い始める瞬間だった。
青陽城に、林逸辰失踪の報が届く。柳如烟は泣き崩れ、林震天は手を尽くして探させた。しかし、どこを探しても彼の姿はなかった。
「逸辰が……逸辰が帰ってこない……」
如烟は毎日のように城門に立ち、彼の帰りを待った。冬の風が彼女の頬を切り裂き、涙が凍りつくほどだった。
その姿を、張良は遠くから見つめていた。彼の口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
「これで、俺にもチャンスが来るかもしれない」
彼の胸の内で、暗い計画が静かに芽生え始めていた。
青陽城の冬は、例年になく寒かった。そして、その寒さはまだまだ続くことを誰も知らなかった。